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けものになれない誰かと、けものにしかなれない誰か

ご無沙汰しております。水野春です。
リアルの方が忙しかったり咳拗らせたりばたばたしてました。
早々に更新止まって失礼しました。
週1くらいで最低限頑張っていこうと思います。

久々に書き始めておいて、タイトルから察するに仮面ライダーの話でもないしね。
掠るつもりなのでお許しを。なおネタバレも辞さない。

お品書き
1.獣になりきれない私達
2.私は私でしかありえないように、彼らは彼らでしかありえない

1.
昌さんと恒星さん、それぞれの選択を見届けました。
呉羽の結局自分を貫く姿と、
きっと後悔するかもしれないとどこかで思いながらも
「自分を生きる」ことを勇敢にも選択したふたり。
とてもドラマチックで安心したことをよく覚えています。
なぜなら、それ以前があまりにもリアルだったから。

ああ、ふたりが晴れやかにビール飲めてよかったな、とそんな気持ちになりました。
教会の鐘はどんな音がしたんでしょうね。

とはいえ、けもなれという物語は、ギリギリまでリアルであったなと思います。
呉羽やカイジのような、いわゆる「獣」である彼ら。
一方で、そうはなりきれない昌たち。
最後の最後まで、獣でない人々は、
自由を手に入れる爆弾を投げることはできても、「獣」にはなれない。
理性という邪魔ものを押しのける勇気が必要なのです。
人間は元来現状維持しようとする生き物だそうですしね。


2.
けもなれに込められた残酷かつリアリティのあるメッセージ、
「人間は、獣にはなりきれない」ということ。
それはある意味で、その人はその人でしかありえない、ということなのかもしれません。
その人の領域のなかでしかありえなくて、
そこを飛び出すには多大な労力と、人並み外れた勇気が必要なんだと思います。

けもなれで上野発を演じていた犬飼さん、
彼が演じていた仮面ライダービルド、もとい桐生戦兎は、
平成ライダー史でも恐ろしいくらいのヒーロー性を持っているキャラクターだったかなと思っています。
ラブアンドピースのために戦う、正義のヒーロー。
そうでしかいられない彼の姿を観て、
痛々しさを感じた人も少なくないのではないでしょうか。
新世界で、彼はどうやって生きていくんだろう、と思います。
ヒーローでしかいられない彼が、
ある意味ヒーローのいらない世界に到達したわけです。どうなってしまうのだろう。
(まあ大抵のことはベストマッチな彼が何とかしてくれるでしょうが)
(ジオウ世界で起きた話はいったんなしで……;)
先輩ライダーと会ってぜひいろいろ話を聞いて生きる意味を見出してほしいものですね。

自分を曲げられない強さか、柔軟過ぎるほどに変化するか、仮面ライダーってどっちかって気がするな。


水野春

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