人生に物語がほしい(木星ふたご座入り)
みなさんの人生には「物語」はありますか?
冒頭のインパクトを求めるあまり、うっかり思想の強そうな問いかけから始めてしまいました。
私は、「人生に物語はあってもいい」派です。
もうちょっと細かく言うと、「人間は"単なる出来事"の連続である人生を解釈し、自動的に物語を見出してしまうものである」「自分にもそういう性質があると把握していれば、"人生"という物語といい感じに付き合っていけるんじゃないかな」「だから、人生に物語はあってもいい」です。
木星とふたご座について
なぜいきなりこんな話をはじめたのかというと、2024年5月26日に木星がふたご座に移動するからです。ちなみに天体現象の解説ではなくて、星占いの話です。
木星は「正義」「理想」「幸福」等の象徴です。「今ここにない素晴らしいもの」に意識を向けさせ、努力やがんばりを引き出し、発展性をもたらします。
一方、ふたご座は「好奇心」や「情報の伝達」等を司っています。「これはなんだろう?」と目の前のものごとに反応して、調べて、言語化して、世界の解像度を上げていきます。
木星は概念を追いかけるような抽象的な思考が、ふたご座は言語による具体的な思考が得意です。なので、ふたご座は木星にとって居心地の悪い星座でもあります。
木星が謳う「こうなったらさぞかしすばらしいだろう!」という物語に、ふたご座が「なんですばらしいの?」「どうすればそうなるの?」と無邪気にツッコミを入れて、最終的には「…なんでだろう?」「どうしよっか?」とすべてがぐだぐだになったりします。
でも、それはそれで都合がいいと思います。木星の雄弁さがふたご座で削がれるということは、あらゆる"物語"の説得力から逃れ、人生を客観視できるタイミングでもあるからです。
というわけで、この記事の主旨は以下の通りです。
「自分の人生ってこんな感じ」という今までの"物語"からいったん離れて、出来事に対して不本意な解釈をしていることに気付いたり、「なんだかんだで自分はこのエピソードが気に入ってるんだな…」と評価したり、「自分が主人公ならこういう"物語"のほうがおもしろくない?」と想像しておきたいね!木星がふたご座にいるあいだに!!
ちなみに、木星がふたご座に滞在する期間は、2024年5月26日~2025年6月10日です。
「自分語り」をしよう
さて、どうやって「木星ふたご座っぽいこと」をするか。
自分語りをしましょう。
インターネットで垂れ流してもいいですし、ネコに話してもいいですし、チラシの裏に書き殴ってもいいです。とにかく脳内にある「自分ってこんな存在だよね~」という認識や感想を、言語化できればオーケーです。
木星は雑なので、自分語りも適当なほうがいいです。本気でやると自分と向き合うことになるので、つらくて苦しい作業になりがちです。それはそれで発展性があるので悪いことではないんですが、べつにふたご座でやる必要はないかな…。
自分語りを通して、他ならぬ自分が人生という物語の主人公であることを確認するのが目的です。
自分は世界をどう見ようとしているのか。
自分には世界がどう見えているのか。
どんな個性の持ち主で、なにができて、なにをしたがっているのか。
小説や漫画を作る上でのアイデア出しやネタ集め、資料確認のターンにも似ています。
ちなみに、地元のルノアールに行くと「若いころ警察にお世話になったエピソード」や「昔泣かせた女たちシリーズ」等の武勇伝が漏れ聞こえてくるのですが、良識に欠けるネタであっても…というかそういうネタこそ、言語化して把握しておきたいです。でもインターネットには書かないほうがいいです。インターネットを信じるな。
もし、言語化したネタを改めて読んで頭を抱える羽目になっても、それは自分の物語の片鱗を客観視できてる証拠です。「これはさすがにかっこ悪いから、自分の人生を語る上では割愛しよう」「恥ずかしいけど、自分にとっては大事なエピソードだからあえて語ろう」等、物語を操作できるようになります。物語は事実ではないから、すべてを正直に語る必要なんてないんです。
自分語りをする上で、起伏に富んだドラマチックなストーリーがつくれなくても問題ないです。
物語を事前につくりこむと、現実がその物語のとおりになるよう必死になって、「今まさに人生が紡がれていく」という楽しさが損なわれてしまいかねません。それに、理想と現実とのギャップに苦しむことにもつながりますし、あまりによくできた話なせいで"自分語り"なのに自分事として認識できないかもしれません。
「自分がどんな人間なのか」を説明できる断片的なエピソードをいくつか把握できていれば、それで十分です。
木星がふたご座を去った後も、人生は続いていきます。努力の結果が出たり、粘った末に挫折したり、棚ぼた的な成功を収めたり、どうしようもない失敗をしたりとか、たくさんの出来事と感情が積み重なって、「自分の人生」を語るための材料がじわじわ増えていくと思います。
それらを組み合わせることで、自分にとって、あるいは他人にとっておもしろいストーリーにできるかどうかは、語り手次第です。
たとえ不格好でも自分なりの言葉で表現することができれば、唯一無二の物語であるがゆえの魅力は備わると思います。それがどんなに平凡でありふれているように感じられても、です。自分にとっては「当たり前」だから、これってつまらないんじゃないかな…印象になりやすいんですよね。
そして表現力を鍛えるためにも、自分語りはしておいて損はないです。アウトプットすればするほど、解像度の高い言語化ができるようになるので、人生におけるいろんな面で役に立つはずです。
まとめ
木星ふたご座の時期に意識したいのは、「人生を楽しみ、自分が自分であるための物語」です。ゲームクリアまでの道のりを楽しむイメージですね。ストーリーも充実していたほうが、過程をより楽しめるはずです。
なので、「成功するための物語」「何者かになるための物語」ではないということは、忘れないでほしいです。社会的な成功を収めたり、何者かになったところで、その後の人生ずっと幸せ!という保証はまったくありませんし。
また、「こんな人生…苦しい…」と感じることがあったら、自分がどんな物語を歩んでいるのか、自分語りを通して確認してみるのも手です。
事実と解釈を分けて認識することによって、「これは物語であって人生そのものではない」と突き放して客観視することができます。これってすごく木星ふたご座的な行為だと思います。
その上で、自分が望む物語なのか、それとも不本意な物語なのか、判断していけたら最高ですね。
おまけ
最後になりますが、記事の主旨的に自己紹介くらいしておいたほうがいいかな…と思ったので、筆者についても軽く触れてみようと思います。記事の内容が抽象的すぎたので、多少は実際的な話もしておきたいな~くらいな感覚なので、読まなくてもまったく問題ないです。
私は主に「創作をしている人」に向けた占いサービスを提供している自営業者です。平たくいえば占い師です。
占い師になるには特に資格は必要なくて、「私は占い師だ!」と言えばもう占い師です。(占いで収入を得て青色申告をするぞ~!という場合は開業届を出す必要があるので、もうちょっと手順を踏むことになるのですが…)
でも、どんな占い師なのかわからないと仕事の依頼がこないので、かつての私は占い師を名乗るにあたって、まずはそれらしいプロフィールを錬成しようとしました。が、書くことがなさすぎてびっくりしました。占い師として語りたいことがなければ、語るべきこともなかったんです。会社の始業時刻の早さに耐えられなくて脱サラしたかっただけなんで…(今考えれば、これはこれで立派な"物語"なんですけどね)。
最終的には、「各星座の記事を書いたり、同人誌を作ってイベントに出たりすれば、プロフィールがなくても認知されるだろ!」と"占い師らしい物語"を書くことを放棄して、問題解決をはかりました。解決しました。
なので、私は「人生に物語はあったほうがいい」派ではなくて「人生に物語はあってもいい」派なんです。
というか、プロフィールという形で自己紹介をしなくても、記事や同人誌を書いたらそれはそれで書き手の"物語"の一部にはなっていくんですよね。なので、アウトプットさえしていけば、人生ってわりとどうにかなるのかもしれません。
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