漫書:進行表の上を粘土で歩く
これは好き放題書いてるので文章はそこまでまとまっていない。
私はよく泣く。人の優勝に涙、大きなイベントのオープニングに涙、音楽に涙、アニメや映画に涙、免許更新の講習ビデオに涙する。喜怒哀楽どの面でも勝手に涙が溢れる。感受性が高いらしい。講習ビデオで泣いた事がある仲間いますか。
自分の心が大きな海だと仮定した時、平和な景色を眺めていたい私は心を落ち着かせる為に感情を平たく伸ばして少しずつ海に流す。しかし、喜怒哀楽の波が大きいので、一日の中で感情が動く出来事や無理矢理感情を作り出す必要がある時、その大きな津波に丸ごと飲み込まれて沈んでいく。そこをどうにか救出し、蘇生させてまた平和な景色を眺め続けようとする毎日。
ここ最近、人生の階段を上る為のタスクを進行させていて、そこに通常通りの仕事・私生活・その他のタスクもこなしていた。この時点でかなりキャパギリギリな中、事前に作り上げた進行表通りに動こうとしたら、思いがけない方向から大きなタスクが5倍速で飛び込んできた。これに対応していたらキャパ180%超えとなり、ショートしてしまったので今週は休息期間にした。呼吸している感覚が無く、1、2日毎に勝手に涙が溢れる状況に生命危機を感じていたので少し危なかった。
人生は予定通りにいかないから、極力進行表には余白を用意しておいた方がいい。
こうなると楽しい予定をつい入れたくなる。どんな予定もいつも楽しみでワクワクする。しかし、無意識で気付いたら無理をしているらしい。静かに過ごすのもワイワイ過ごすのも好きなので、心に負荷がかからないよう、最近はバランスを取るようにしている。このバランスを可視化できる天秤が欲しい。
自分の思考を言語化するのが苦手な理由を考えていた。思考を巡らせるのは好きなのに何故かと考えた末、言語化したものを文字にしてしまう事で、自分の思考が正しいのか不明瞭なまま石化してしまう気がするのが怖いんだと気付いた。思考は石像の様に自分を抽象化したもので、それを人目に晒す事でどう思われるかを恐れている。かと言って、何も言語化しないままだと姿形の無い亡霊に等しい気がする。ではどうなりたいかって考えた時、粘土が思い浮かんだ。粘土。自立しながらも頑固でなく、柔軟性のある思考でありたい。石化じゃなくて粘土化させていきたい。
スライムも思い浮かんだけど、君は柔らかすぎる。集合すれば強い。
先日とある面談にて「あなたは自己表現を大切にされているんですね」と言われて、確かにその通りだと思った。面談でまた一歩、自己分析が進んだ。
私は今日も私を応援し続ける。
元気にね〜無理すんな〜
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