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キミの勇者になる(ご注文はうさぎですか?二次小説)

 私がまだ小学生だった頃のおはなし。校舎の裏にある中庭で、一匹のうさぎを保護したことがある。まだ生まれたばかりの、小さなうさぎだった。
 うさぎは足を怪我していたから、私とマヤちゃんはすぐにその子を保健室に連れていった。優しい女の先生がしっかりと手当てしてくれたおかげで、うさぎは無事、歩けるようになった。小さな体が震えているのを見ると胸が痛んだけど、うさぎは日を追うごとに、少しずつ元気を取り戻していった。初めて包帯が取れたときはマヤちゃんと一緒に喜んだ。
 マヤちゃんはうさぎを「マーブル」と呼んでいた。なんでマーブルなの?と訊いたら、こういう模様はマーブルって言うみたい。栗色の毛に、白いミルクを溶かしたような色。
 名付け親のマヤちゃんは、マーブルを誰よりもかわいがっていた。マーブルの方も、マヤちゃんにすごく懐いていたのを今でも覚えてる。マーブルを肩に乗せて、国民的ゲームの主人公みたいにポーズを決めるのがマヤちゃんの日課だった。
 慣れない日曜大工でマーブルの小屋を作ろうとして、うっかり手を怪我したこともあったっけ。
 マヤちゃんがそんな調子だから、いつの間にかうさぎのマーブルはクラスで一番の人気者になっていた。みんなで一緒にマーブルのお世話をするのは本当に楽しくて、時間が経つのがあっという間だった。
 こんな日がずっと続くと思っていた。ずっと続くって、あの頃は本当に心から信じてた。
 だから……。
「よしよし、もう大丈夫だって。あんなに遊んであげたんだから、マーブルはきっと幸せだったはずだよ」
 マヤちゃんよりも背の高いクラスの女の子が教室で泣いている。マヤちゃんはその子の頭をなでながら、優しい言葉をかけている。マーブルを保健室に連れていったとき、事情を知ってすぐに保健の先生を連れてきてくれた子だった。
 昨日まで元気だったマーブルが、急に天国に行ってしまった理由は誰にもわからない。ただただ突然で、私はなんだか実感が持てなかった。
 その日のマヤちゃんは一日じゅう、クラスメイトを励ましてばかりいた。休み時間も授業中も、マヤちゃんは一度も泣いたりはしなかった。私はなんだか不安になって、普段と変わらないマヤちゃんの背中に何度か声をかけようとした。
 でも、なんて言ったらいいんだろう。上手い言葉が見つからなくて、私は結局、何も言えなかった。

     ◇   ◇   ◇

 私とマヤちゃんの関係は幼なじみ。同い年で家が近所だったマヤちゃんとは、昔からよく遊んでた。
 出会いのきっかけは、えーっと、なんだっけ。たしか私が幼稚園の庭で転んで怪我をしたときに、マヤちゃんが助けてくれたとか、そんな感じだった気がする。本当のきっかけが何だったのかは今となっては思い出せないけど、物心がついた頃にはもう私の隣にマヤちゃんがいた。
 吐く息が白くなる季節。もうすぐ冬がやってくる。私たちも来年は小学校を卒業して、中学生になる。
 この先もマヤちゃんとは何だかんだ一緒にいるんだろうなぁ。
「ケーキ屋さん、楽しみだね。マヤちゃん」
「楽しみだね、メグ。ふぁぁぁぁぁ~~~」
 寝ぼけ眼であくびを一つ。あれから二週間が経ったけど、マヤちゃんは相変わらずいつも通りだった。
 小柄なマヤちゃんは私よりも身長が何センチか低くて、並んで歩くと私は目線が少しだけ下になる。幼稚園でも小学校でもマヤちゃんとは組が一緒だけど、私たちの趣味や価値観はぜんぜん合わなかった。
「マヤちゃん、ひょっとして寝不足?」
 訊くと、マヤちゃんはまた一つ大きなあくびをした。
「この前出たばかりのゲームが面白くってさ。あんまり寝てなくて」
 落ち葉に埋め尽くされた石畳の道を歩きながら、私はため息をついた。
「もう、夜更かしばっかりしてると、またお母さんにゲーム没収されるよ」
「だって面白いんだもん、しょうがないじゃん」
「そんなに面白いの?」
「面白いよ!あ、そうだ。私が終わったらメグにも貸してあげる。戦闘システムは簡単になっちゃったから物足りないんだけど、そのかわりストーリーがめっちゃ深いんだ。きっとメグも楽しめるよ」
 私はとなりをじっと見る。うん、やっぱりいつものマヤちゃんだ。
 今日のおでかけはケーキ屋さんに行くのが目的なのだけど、私にはそれとは別に、どうしてもマヤちゃんに訊かなきゃいけないことがある。こういうのなんて言うんだっけ?建前?それとも、口実?わからないけど今日マヤちゃんをケーキ屋さんに誘ったのも、実はそのためだった。
 私はこほんと咳払いすると、さっそくマヤちゃんに本題を切り出す。
「マヤちゃん!」
「ほへ?」
 急な呼びかけに思わず目を丸くするマヤちゃん。えっと、えーーっと……。
「け、ケーキ屋さん、楽しみだね〜」
「そうだね〜って、さっきもその話したじゃん!」
 マヤちゃんのツッコミを受けながら、私は心の中でうずくまった。
 今日こそは言うと決めたはずなのに、いざとなると言葉が出ない。頭の中がくるくると回って、何も考えられなくなってしまう。
 だけど、いつまでも落ち込んでいる場合じゃないのも確かだった。どうせマヤちゃんは鈍感だから、私が何かおかしなことを言っても、多少はスルーしてくれるはず!
 私は気を取り直すと、もう一度マヤちゃんに向き直った。そして、さっきよりも気合いを入れる!
「マヤちゃん!」
「にゃわ!」
 突然の大声にマヤちゃんがひっくり返った。でも言わなきゃ!
「駅前にすごくおしゃれなアパレルショップが出来たらしいよ!今度ふたりで行こうよ!」
「まじで!?アパレルショップってなんか強そう!」
 勘違いしたマヤちゃんが目を輝かせている。私はまた心の中で膝を抱えた。
 確かにアパレルショップの方も気になってはいるけれど、私が今話したいのはお洋服のことじゃないのに。
 私が話したいのは、話したいのはーー。
「マヤちゃん!」
「ひい!こ、今度はなに?」
 なぜか怯え気味のマヤちゃんに、私は今度こそ大事な話を切り出そうと口を開いた。
「…………なんでも、ないです」
 しゅるしゅるしゅる〜っと気持ちがしぼんでいくのがわかった。まるで空気が抜けた風船みたいに。私はいつもこうだ。
 緊張すると頭の中が混乱して、何も出来なくなっちゃう。取り返そうしてあせればあせるほど事態は悪化して、裏目に出るばかり。友達と普通に会話するぶんには何も問題はないのだけど、人前に立ったり、あるいは人に大事な話をしたりするとき、私はいつも失敗ばかりだった。
 この性質に、「あがり症」という名前が付いていることを知ったのは、いつだろう。
 私と違って、マヤちゃんはいつでも自由奔放に生きていて。こういうとき、私はマヤちゃんの性格がちょっと羨ましくなる。私もマヤちゃんみたいに、自由に生きられたらいいのに。
 普段はマヤちゃんに対して羨ましいなんて思わないけれど、今だけはその図太さを少しだけでいいから私に分けてほしい。
 マヤちゃんは、いつも自由でいいな。
 もしも私がマヤちゃんだったら、今もこんなに悩まなくて済んだのかな。
「なんかさっきから、メグおかしくない?」
 ため息をつく私を見て、マヤちゃんがとうとう異変に気がついた。
「言いたいことがあるなら、はっきり言わなきゃダメだよ。我慢は身体に毒だよ?」
 何も知らないマヤちゃんが私の顔を覗き込んでくる。
 次の瞬間、私の中の何かがぷち、と音を立てて切れた。
「私がヘンなのはマヤちゃんのせいでしょーーーーーーーー!!!!!!」
「うわー!メグがキレたー!」
「そんなに言うならわかったよ!言うよ!言っちゃうよ!言っちゃうからね!?マヤちゃんは私に何かを隠してる!」
 びしっと指を指して言った。勢い任せに言った。言ってしまった。
 心臓が急にどきどきと早鐘を打ち始めたのがわかる。想定していた流れとはだいぶ違う感じになっちゃったけど、そうだ。私はこの話がしたかったんだ。
 マーブルが天国に行っちゃったあの日。マヤちゃんは涙を見せなかった。クラスメイトを励ますばかりで。優しい言葉をかけてあげるだけで。
 あの日から、マヤちゃんは私に何かを隠している気がする。何を?と具体的に聞かれても困ってしまうのだけど、とにかく今のマヤちゃんは私以上に何かがおかしい。
 どこか、無理をしているような。隠しちゃいけない何かを内側に隠し持っているような。
 その時だった。マヤちゃんが一瞬、「バレた!」と言いたげな顔になったのを、私は見逃さなかった。
 でもそれはほんの一瞬のことで、マヤちゃんはすぐにばつの悪そうな表情を引っ込めると、口笛を吹き始めた。
「ハテ?イッタイナンノコトカナ?ワタシハカクシゴトナンテシテナイヨ?」
 ぜったいに嘘だった。
「嘘!マヤちゃんは私に何か隠してる!」
「隠してなんかいないって。ほら、さっさと行くよ!ケーキが売り切れちゃう!」

     ◇   ◇   ◇

 建物の陰に身を隠して、そーっとマヤちゃんの様子をうかがう。見つからないようこっそりと。十分な距離を取って。
 月曜日の放課後。マヤちゃんはそそくさと帰り支度を済ませると、授業が終わるなり教室を出ていった。
「ちょっと用事~」なんてマヤちゃんは軽い調子で言うけれど、マヤちゃんに放課後の用事があったことなんて数えるほどしかない。
 だいたい、用事があるにしたって帰り道は一緒なんだから、途中までは私と一緒に帰ってくれてもいいのに。
 ケーキ屋さんの一件もあって不審に思っていた私は、マヤちゃんを尾行することにした。
 マヤちゃんは明らかに周囲を警戒している様子だった。通学路の途中で立ち止まったマヤちゃんはきょろきょろと辺りを見回す。
 そして狭い路地に入った。私たちの家があるのは路地とは逆方向だから、マヤちゃんがどこかに寄り道をしようとしているのは決定的だった。私は眉をひそめる。むむむ、これはますます怪しくなってきたよ……!
 マヤちゃんの姿を見失わないよう、私もすぐに建物から出て路地に入る。
 私たちが住む木組みの街はちょっとした迷路になっていて、移住してきたばかりの人はたまに迷うって聞いた事がある。私は木組みの街の生まれだからあまりピンと来ないけれど、小さい頃にはそういえば一度だけ迷子になった。
 通い慣れた通学路から少し道を外れただけで、この街の景色はがらりと変わる。狭い路地を出て通りに出ると、そこは全くの別世界だった。
 しばらく進むと左手に和風の喫茶店が見えてくる。こんな所に喫茶店があるなんて知らなかった。その隣にはツタで覆われた、なんだかお化け屋敷みたいな家。怖い…!なんだか幽霊が出てきそう。
 橙色のお花を窓に飾っている民家とすれ違った。甘い香りがしたから、たぶん金木犀かな。
 マヤちゃんに付いていくと、新しい発見がいくつも見つかる。懐かしいな。そういえば昔はよくマヤちゃんと一緒に冒険したっけ。
 私の手を引きながら、マヤちゃんが「メグの勇者になる!」と口癖のように言っていたのを思い出す。
 勇者といえば、やっぱり剣だよね。幼い頃のマヤちゃんも手頃な棒きれを拾ってきては、よく剣に見立てて遊んでた。雨の日は傘を振り回して先生に注意されるのがマヤちゃんにとっては日常茶飯事だった。
 小柄なマヤちゃんに「勇者」は少し不釣り合いな気もしたけど、どんな場所でも物怖じしないマヤちゃんにはぴったりだと思えた。
 先を行くマヤちゃんの背中を、私はなおも追いかける。看板の裏。花壇の陰。いろんな場所に隠れながら。
 けれど私はやがて自分の行いを後悔することになる。マヤちゃんはとにかく歩くのが速くて、気を抜くとすぐに置いていかれちゃう。私がマヤちゃんを尾行するには普段よりも速いペースで歩かなきゃいけなかった。
 疲れる……。もう、マヤちゃんってばいつも一人で先に行っちゃうんだから!
 マヤちゃんがようやく足を止めたのは、川沿いの遊歩道に出たときだった。手元の地図とにらめっこしながら、「あれれ?」と首をかしげている。様子を見るに、どうやらマヤちゃんは迷子になったみたいだった。
 私の胸にじんわりと嫌な予感が込み上げてくる。もしもマヤちゃんが迷子になったなら、私だって帰り道がわからない。二人して迷子だ。
 マヤちゃんを追いかけるのに夢中で、いつの間にか私はぜんぜん知らない場所まで来てしまっていた。
 不安が胸をよぎったその時、マヤちゃんの近くをたまたまスーツ姿の女性が通りかかった。細身で若い、女の人だった。
「すいませーん!ちょっと道を訊きたくて~」
 女性に道を尋ねたマヤちゃんが折り返してこっちに向かってくる。隠れなきゃ!私はとっさに花壇の陰に身を隠した。
 私の前を駆け足で横切るマヤちゃんの横顔が目に入った。
 まるで大切な人の顔を思い浮かべているみたいだった。楽しそうで、幸せそうで。私はそんなマヤちゃんを見て、なんだか胸が苦しくなってしまった。
 マーブルが冷たくなっていた日。私はなんだか実感が持てなかった。だけど翌日、学校に行ったらやっぱりマーブルの姿はなくて、からっぽの小屋を見たら寂しくて涙が止まらなかった。
 同じように、マヤちゃんも本当は泣きたいんだと思ってた。本当はマヤちゃんだって皆と同じように泣きたいのに、周りの人たちに気を遣って、自分の感情を抑えている気がした。
 ひとりぼっちで無理をしているマヤちゃんが放っておけなくて、私は必死だったんだ。
 マーブルのことを誰よりもかわいがっていたのは、マヤちゃんだもん。私にはそれがわかる。誰よりもマヤちゃんを近くで見ていたからわかる。だから、もしもマヤちゃんが自分の気持ちを我慢しているのなら、私は少しでも力になりたかった。
 でも、違うのかな。マヤちゃんにとって、マーブルとの出会いはもう昔の話なのかな。
 なんだか全部が自分の勘違いだったみたいに思えてきた。どうしよう、もう帰りたい。マヤちゃんの背中がどんどん遠くなる。だけどマヤちゃんを見失ったら、私は今度こそ帰り道が分からなくなってしまう。
 結局その後もマヤちゃんの尾行を続けるしか選択肢はなくて、私はひいひい言いながらもマヤちゃんの後を追いかけた。
 そういえばマヤちゃんは、いったいどこに向かってるんだろう?私が首をかしげていると、やがてマヤちゃんは一件のお店にたどり着く。
 見覚えがある。というか、私がマヤちゃんに教えたお店だった。プレオープンの時から、このお店はクラスでも話題になっていた。私は雑誌でしか外観を見たことはなかったけれど、最先端の流行を取り入れた新進気鋭のアパレルショップ。
 ぽかんとしている私をよそに、マヤちゃんはお店に入っていく。そうして時計の針が十六時を回った頃。買い物を終えたマヤちゃんが嬉しそうな顔でお店から出てきた。ばっちり目が合った。
「あれ!?メグじゃん!どーしてここにいるの!?」

     ◇   ◇   ◇

「誕生日プレゼント!?」
「そーだよ!だって来週はメグの誕生日じゃん。まさか忘れてたの?」
 マヤちゃんの声が公園に響く。あの後、どこか静かな場所で話すことにした私たちは、ひとまずアパレルショップから噴水公園に場所を移していた。
 マヤちゃんの言う通り、私は自分の誕生日をすっかり忘れてた。考え事ばかりしていたせいで頭から抜け落ちちゃってたけど、来週は私ーー奈津恵の十二回目の誕生日だ。
「本当は内緒にしてサプライズしようと思ってたんだけど、バレちゃったならしょうがないよね。はいこれ」
「わぁ……!」
「少し早いけど、誕生日おめでとう!メグ」
 マヤちゃんの言葉に感極まりながら、私はさっそく紙袋を確認する。タキシードを着た紳士的な猫が箱の中央にあしらわれていた。マヤちゃんが好きそうな、かっこいい猫のロゴ。
 箱を開ける。中には白くて柔らかそうなマフラーが丁寧に折りたたまれて入っていた。
「色はけっこう迷ったんだけど、今回はあえて白にしちゃった。ほら、メグって天使っぽいじゃん?優しいし、面倒がいいし」
「マヤちゃん……」
「普段の赤い色もいいけど、純白の白もメグのイメージにぴったりだと思ったんだ。だから今回はあえて思い切って白にしてみたんだけど……もしかして嫌だった?」
「ううん。嬉しい。嬉しいよ……!ありがとう、マヤちゃん!」
 白いマフラーを抱きしめる。マヤちゃんが私のために考えて選んでくれただけで、私はもう胸がいっぱいだった。
 だけどよくよく確かめてみると、このマフラー。すごく肌触りがいい。なんだか上品でお高い繊維質をふんだんに使っているような……。
「マヤちゃん、このマフラーいくらしたの?なんだかすごく高そうなんだけど」
 私が訊くと、マヤちゃんは「てへっ」と舌を出してみせた。
「お小遣い、ぜんぶ無くなっちゃった☆」
「ええっ!?そんな悪いよぉ~」
「気にしなくていいよ。元からゲーム機買っちゃったせいで少なかったし」
 それより!とマヤちゃんが唐突にずいっと身を寄せてくる。私はびっくりして、「はひっ!」と声が出てしまった。 
「今度はメグが答える番だよ。どーしてメグは私の後を付けてたの?」
 やっぱりそうなるよね。私はまず謝らなきゃと思って、マヤちゃんにしっかりと頭を下げた。
「ごめんね、マヤちゃん。内緒で後をつけたりなんかして」
「そうじゃなくて。最近のメグはずっと元気なかったじゃん」
「えっ」
「ぜんぶお見通しなんだからね。さあさあ、洗いざらい吐いてもらおうか。メグが凹んでる理由は何?」
 ……マヤちゃんには、敵わないな。私は観念して、ここ最近の悩みを全部打ち明けることにした。
「正直に言うと、私自身もいろいろあってよくわかんない。だけど、一番の理由はやっぱりマヤちゃんが心配だからだと思う」
「私が?」
「うん。だって最近のマヤちゃん、無理をしてるように見えたから。マーブルが死んじゃったあの日から、ずっと。私、マヤちゃんがマーブルのこと大好きだったの知ってるもん」
 マヤちゃんと一緒にマーブルをお世話した日々の出来事がまるで走馬灯のように浮かんでは消えていく。
 初めて包帯が取れた日のこと。初めて名前をつけてあげた日のこと。一緒に遊んであげた日々。マーブルの小屋が完成した日。どんなマヤちゃんも、私の記憶ではとびっきりの笑顔だった。幼なじみの私でさえちょっと嫉妬しちゃうくらい、マヤちゃんはすごく楽しそうだった。
「だから、マヤちゃんがもし強がって無理をしているんだとしたら、私は力になりたかった。側にいて、一緒に泣いてあげたかったんだ。マヤちゃんが、ひとりぼっちにならなくても済むように」
 だけど、それは全部私の勘違いだったんだと思う。担任の先生が言ってた。大人になると、些細なことでは泣いたり悲しんだりはしなくなるって。
 マヤちゃんはきっと、私よりも先に大人になったんだと思う。ただ、それだけのことだった。私がただ、子供なだけだったんだ。
「ごめんね、マヤちゃん。こんな話して。マヤちゃんはもう、私が心配しなくても大丈夫なんだってわかった。余計なお世話だったよ。もう帰ろう?早くしないと日が暮れちゃう」
 マフラーを箱に仕舞い直して、私はベンチから立ち上がろうとする。
 だけどマヤちゃんの様子が変だった。まるで時が止まったみたいに、私の方をぽかんと見つめたまま動かない。あれ……?
「そっかぁ」とマヤちゃんが言った。そして頬をぽりぽりとかきながら、メグにはやっぱり隠し事できないかぁ、と独り言のように呟く。
 不意に、マヤちゃんが空を見た。暖炉の火みたいな夕暮れの空を見上げながら、マヤちゃんは、そうして。
「大丈夫だなんて、そんなわけ、ないじゃんかぁーーーーーーー!!!!!!」
 びっくりするほどの大声だった。マヤちゃんの瞳から大粒の涙がぽろぽろと溢れ落ちるのを、私はただ見ていた。
 マヤちゃんが泣いている。遅れてその事実に気付いたけれど、気付いたからって事態が良い方向に向かってくれるわけじゃない。マヤちゃんを本気で泣かせてしまった。その事実だけが胸を貫いて、私は全く身動きが取れない。
 そうこうしている間にもマヤちゃんはまるで苦しみに耐えるみたいに、両手をぎゅっと握って、目を閉じて、唇を震わせて、
「……眠れなかったんだ」
「えっ」
「私のせいでマーブルが死んじゃったのかもと思ったら、怖くて眠れなかった。だって、一緒に遊んであげたのがストレスだったかもしれないじゃん。食べさせてあげたエサが体に合わなかったのかもしれないじゃん。先生はたぶん病気だったんだろうって言ってたけどさ、そんなの診断してないんだから誰にも本当のことはわからないよ。私のせいだったらどうしよう。そう思ったら怖くて、眠れなくて……」
 助けを求めるような瞳で、マヤちゃんが私をじっと見た。目が真っ赤だった。
「メグ、私は間違っていたのかな……?私はマーブルに、出会わない方がよかったのかな……?」
 そんなことない!って言いたかった。今すぐマヤちゃんを抱きしめて言いたかった。だけど私はこんな時でもやっぱり上がり症のメグで、頭の中がぐるぐると回って、言うべき言葉がちゃんと言えない。
 とんでもないことをしてしまった。その罪悪感で、心がぺしゃんこだった。マーブルが死んじゃった日の辛さも一緒に思い出してしまって、私もとうとうマヤちゃんと一緒に泣き始めてしまった。
 二人で一緒に、泣き続けた。私たち以外には人気のない夕暮れの噴水公園で、私とマヤちゃんはお互いを抱き締め合いながら、一緒に泣き続けた。
 どれくらいそうしていただろう。ようやく落ち着いてきた頃、マヤちゃんが目元を袖でぬぐいながら、ぽつりと言った。
「ごめんね、メグ。変なとこ見せてごめん」
 ううん、と私は首を振る。だって私たち、お互いさまだもん。謝ったと思ったら謝られて、謝られたと思ったら謝って。
 なんだか姉妹みたいって、このときちょっとだけ思った。むしろ素敵な誕生日プレゼントをもらってしまっているぶん、私の方が得をしちゃってるかも。
「あのね、マヤちゃん。さっきの答えだけど」
 私はマヤちゃんをまっすぐ見る。なぜか不思議と、心は落ち着いていた。
「私はマヤちゃんが間違ったことをしたとは思わないよ」
「うん……」
「だってもし、あのとき私たちがマーブルを助けなかったら、マーブルはご飯を食べられなくて死んじゃってたかもしれない」
「うん……」
「もしもマヤちゃんが遊んでなかったら、マーブルは寂しくて死んじゃってたかもしれない。うさぎは寂しいと、死んじゃう生き物だもん」
「うん……うん……」
「他の誰が否定しても、私だけはマヤちゃんを否定しない。断言するよ。マヤちゃんはマーブルの、最高のお母さんだったよ」
 そのとき不思議な光景を見た。淡く輝く白い光がマヤちゃんの右肩に留まっていた。でもよく見ると、白い光には細い栗色の線が混じっていて、それは私たちのよく知る模様とどこか似ている気がした。
 一瞬だったから、その光景が本物だったのかどうかはわからない。
 だけど何となく、聞いた気がしたんだ。白い光の、最後の言葉。
 ーーーーありがとう。
 ぶっ!とマヤちゃんが唐突に吹き出した。
「お母さんって。ふふっ、あはははは!」
「えっ、えぇーーー!?」
 いったいなにがおかしかったんだろう。ついさっきまでわんわん泣いてたのに、マヤちゃんがいきなり笑い出すから状況にぜんぜん付いていけない。
 目尻にたまった水滴がもう何の涙なのかわからなかった。マヤちゃんに笑って欲しかったんだから結果的にはよかったけど、こんなに大笑いされるとなんか釈然としない。むぅ。
 というか、笑いすぎじゃないかな!?私が怒りのオーラを飛ばすと、マヤちゃんはようやく笑うのをやめてこちらに向き直った。
「ねぇメグ、覚えてる?私が昔、『勇者になる!』って言ってた時のこと」
 空を見上げて、マヤちゃんが言う。いつのまにか白い光はどこかに消えてしまっていた。
「昔はね、勇者って戦うものばかりだと思ってたんだ。もちろん、それが王道だと思うし、そういう強い人に憧れる気持ちは今も変わらない。だけど」
 マヤちゃんはそこで言葉を切った。私は言葉の続きをじっと待つ。マヤちゃんが何を伝えようとしているのか、何となくわかった気がしたから。
「勇者って、それだけじゃないんだ。メグと出会って、初めてわかった。誰かの気持ちに寄り添ったり、心の支えになったりできる人だって、立派な勇者なんだ」
 そしてマヤちゃんは、私を見た。
 その日一番の笑顔を浮かべながら、マヤちゃんは最後に、こう付け足した。
「メグは私の勇者だね」

     ◇   ◇   ◇

 高校生になる前の春休み。シャロさんの家で、マヤちゃんと一緒にもやし料理を食べた帰り道。
 懐かしい記憶を思い出しながら、私は心の中でそっと語りかける。
 マヤちゃん。
 昔のマヤちゃんは私の勇者になりたいって言ってたけど、本当は私だって、マヤちゃんの勇者になりたかったんだよ。
 大好きなマヤちゃんの心を救う、かっこいい勇者に、私もなりたかった。
 マヤちゃんの言葉が、私を勇者にしてくれたんだよ。
 口に出すのが恥ずかしい言葉。言葉にするのが難しい気持ち。私はマヤちゃんみたいに、自分の考えをうまく言葉にはできない。
 だけど、マヤちゃんを大事に思う心は、確かにここにある。この胸の奥に、ちゃんとある。この気持ちだけは、誰にも負けない。
 だからーーーー。
「マヤちゃんが強いなんて最初から思ってないよ」
「な゛っ!?」
「早く言ってくれればよかったのに」
「はぁ!?」
 私的には良いことを言ったつもりだったんだけど、なぜかマヤちゃんが「うぅ~~っ」と唸っている。あれれ!?
 背中を向けて、「先帰る!」と駆け出したマヤちゃんを、あわてて呼び止めた。
 そして私は、声を張り上げる。大きく息を吸い込んで。ありったけの、気持ちを込めて。
「もしクラスが別れて新しい友達が出来てもね。マヤちゃんが好きになった友達なら私も仲良くしたい!」

 歩幅を合わせて、二人で歩く。一匹の蝶が、私たちの前をひらひらと飛んでいった。

                            おわり

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