心に響く3期ごちうさのアニオリ名言集
■今期のごちうさは名言が多い
TVアニメ「ご注文はうさぎですか?BLOOM」が放送中です!言わずと知れた大人気アニメ「ご注文はうさぎですか?」の第3期シリーズですね。
今期のごちうさは傑作ですよ!みなさん、観てますか!?
SNSでも話題になってるように、今期のごちうさはアニオリが多いです。
原作のストーリーをより膨らませることで、キャラクターの心情などが理解しやすいように作られてますね。もちろん、Koi先生の描かれる原作マンガは素晴らしいですし、僕らごちうさ難民にとってKoi先生は神にも等しい存在です。ですが、四コマ漫画という都合上、どうしても本筋からは割愛せざるを得ない、そもそも四コマという狭いスペースに物理的に書ききれない、といった要素はあります。
それが、見事に補完されている。もうね、びっくりですよ。今期はごちうさ以外にも「神様になった日」や「魔女の旅々」、同じきらら枠では「おちこぼれフルーツタルト」もありますから、円盤の売り上げは分散してしまうんじゃないかと正直、不安だったんですよね。
しかし!いまや楽しみですらある。この超クオリティなごちうさが一体どこまで売れるのか。ともあれ、今期のごちうさの評判はアニオリによるところが大きいです。
アニオリ展開が増えているということは、それだけ原作にはない台詞も追加されていることを意味します。今回は、そんなアニメでしか聞けない名言を集めてみました!
名言と聞いて、いくつかのシーンがピンと来る方はいるでしょう。ですが、今期のごちうさは本当にクオリティが高い。一つ一つの言葉の裏に、実は意外な真意や物語が隠れていたりします。
ただ可愛いだけの作品じゃない、ごちうさの深い深い魅力を、名言とともに振り返ってみましょう。
■心に響く3期ごちうさのアニオリ名言集
それでは見ていきます。なお、執筆時点では3期がまだ放送中のため、名言はまだまだこれから増えていくと思います。随時更新していきますのでよろしくお願いします。
・「このうさぎさんは、笑うこともできるんです」
今期はさっそく1羽から名言いただきました。ブロカントのお話ですね。リゼちゃんが連れてきた迷子の女の子をなだめるため、チノちゃんが人形を使って笑わせるシーン。
名言か…?と思った、そこの貴方。その気持ちはよく分かります。僕も、最初はこのシーンの持つ意味に気付きませんでした。一見するとチノちゃんがただ女の子をなだめているだけですから、そこに特別重要な意味はないように思えます。
どっちかというと、この後のシーンの方が印象深いですよね。
女の子のお母さんが無事見つかり、お母さんのもとに駆け寄る女の子の後ろ姿を穏やかに見つめるチノちゃんの、この表情ですよ。
あまりにも可愛すぎる!いや、可愛いというより、綺麗と言った方がもはや正しい。優しさと母性が入り混じったような、完全にお姉ちゃんの表情をしてますよね。このチノちゃんの微笑みにノックダウンされた方は多いんじゃないでしょうか。
もちろん、アニメ制作スタッフがここでチノちゃんのお姉ちゃんらしさを表現したかったのは確かでしょう。今期のごちうさは「成長」がテーマですから、今までは妹という側面しか描かれなかったチノちゃんのお姉ちゃんらしさを描くことには大きな意味があります。
ただ忘れちゃいけないのが、このシーン、2回あるんですよね。
お母さんに手を引かれながら歩いていく女の子が振り返り、「お姉ちゃん、ありがとう!」とお礼を告げるシーン。この直後にも、チノちゃんは女の子の後ろ姿を見つめて微笑んでいます。
2つの表情を見比べてみると、明らかに違うんですよね。原作を再現したならともかく、この2つのチノちゃんの微笑みは完全にアニメオリジナルです。アニメ制作スタッフの手によって補完されたシーン。
となれば、やはり制作スタッフの意図があるような気がします。意図というか、必然性があったのかもしれません。何らかの理由によって、2つのチノちゃんの表情は微妙に変える必要があった。となれば、その理由として考えられるのは「異なる2つのチノちゃんの心情を別々に描写したかったから」ではないでしょうか。
だとしたら、1回目のチノちゃんの微笑みに隠された心情は何でしょう?
2回目のチノちゃんは女の子に「お姉ちゃん」と呼ばれた直後ですから、優しさや母性といったお姉ちゃんらしさが滲み出た表情だと思います。こちらは分かりやすい。1回目も、チノちゃんのお姉ちゃんらしさが現れた表情だとは思うんですけど、「異なる2つのチノちゃんの心情を別々に描写したかった」という線で考えれば、2回目とはまた別の心情が込められているのでは?との推測が立ちます。
それにしても1回目のチノちゃん、どこか遠くを見つめているような雰囲気があるんですよね。まるでアルバムを見ているような、懐かしい思い出を振り返っているような。。。
そこまで考えて、ハッとしました。そうか、チノちゃんは過去の自分を女の子に重ねて見ているんだ、と。
チノちゃんは早くに大好きなお母さんと祖父に先立たれています。そのせいか、中学に上がるまでは誰とも関わらず、一人で本の世界に閉じこもっていたことが描かれています。
泣きたい夜もあったでしょう。優しいチノちゃんの事ですから、父であるタカヒロさんの前でも、気丈に振舞っていたかもしれません。誰にも心配をかけるまいと、誰にも言わず、誰にも悟らせず、誰も知らないところで一人、涙を流すこともあったかもしれません。
お母さんと離れ離れになり、ただ泣きじゃくる女の子の姿が、かつての自分と重なって見えたのではないでしょうか。
これを踏まえた上で、最初に紹介したシーンを原作と比較してみます。
原作だと、結構チノちゃんは戸惑ってるんですよね。あたふたしてるうちに事態が収まってしまったというか。泣かないで、という台詞が出てくるのはアニメも原作も一緒なんですが、リゼちゃんがお母さんを探して連れてくる描写もありませんし、そもそも原作だと、隣にいるのは実はココアちゃんだったりします。
これに対し、アニメのチノちゃんは冷静です。
最初こそ手品を失敗したりと迷走するチノちゃんですが、女の子がうさぎの人形に興味を持ってからのチノちゃんは、動揺した素振りを一切見せていません。
そして何より、このときチノちゃんは、女の子をうさぎの人形に例えているんですよね。目が赤くない…とツッコミを入れられたりもしていますが、チノちゃんは女の子をうさぎになぞらえた上で、「このうさぎさん(=女の子)は、笑うこともできるんです」と言っている。まるで、この先に良い未来が来ることを確信しているかのように。
大丈夫、お母さんはきっと見つかる。また笑える。この人形のように。チノちゃんがそういう風に女の子を励ますことができた根拠は、一体どこにあるのでしょうか。
ここで、チノちゃんが女の子と過去の自分を重ねて見ている話に繋がります。
そう、チノちゃんはこのとき、自分の手をかつて引いてくれた人達のことを思い出していたんじゃないかと思うんです。
振り回し隊第一号のココアさん、いつも何かと気にかけてくれる年上で先輩のリゼちゃん、教室でひとり本を読んでいたチノちゃんの手を引っ張ってシストに連れ出してくれたマヤちゃん、メグちゃん。
チノちゃんの傍には、いつだって手を引いてくれる人たちがいました。みんなのおかげで、今がある。いろんな人たちとの出会いが、今のチノちゃんを形作っている。教室でひとり本を読んでいた時の灰色の世界が嘘のように、チノちゃんの世界は今、輝きに満ちています。
そんな自分と女の子の姿が重なって見えたからこそ、この女の子もきっと大丈夫!と確信できたのではないでしょうか。
たとえどんなに落ち込んでも、絶望の淵に立たされたとしても、明けない夜はないのだということを、灰色の世界にも光が射すのだという事を、チノちゃんは伝えたかったんじゃないかと思えてならないのです。
だとしたら、最初に紹介したあの台詞には、チノちゃんの物語が詰まっています。いろんな人に手を引かれ、慌ただしい日々の中で培ってきた、チノちゃんというお姉ちゃんにしか言い表せない優しさのカタチ。これを名言として紹介しないわけにはいかないでしょう。
どうですか?「このうさぎさんは、笑うこともできるんです」。良い台詞だと思いません?
もちろん、これら全てが僕の妄想()である可能性も十分あります。結局、真相はアニメスタッフに聞かなきゃ分かりませんからね(笑
いずれにせよ、何かしら意味があってのアニオリ展開でしょうから、自分なりに考えを巡らせてみると新しい発見があるかもしれません。
・「どれだけ間が悪くとも、捕まえるまで絶対にあきらめません!」
続いては第5羽です。このシーンも良かったですね!鬼ごっこのラストシーン、カルーセルから降りてくる青山先生に向かって凛ちゃんが宣言した一言。幻想的な光の描写もあって、作品世界にグッと引き込まれた方は多いんじゃないでしょうか。
青山先生と凛ちゃんの関係性は、アニメ2期10羽でも語られています。過去にテキトーなアドバイスで数々の部活を成功に導いた「ミス・エメラルド」。その正体が青山先生であること、青山先生の下の名前が「みどり」であること、そして担当編集の凛ちゃんとの付き合いは二人が高校生の時からずっと続いていること、などが仄めかされます。
2人が今いくつなのかは公開されてないので分かりませんが、仮に二十代前半だとしても十年近い付き合いになりますね。
作家と編集という相容れない立場の二人が、これほど長い間付き合ってこられたのは、作家と編集の枠を超えた戦友とも呼ぶべき絆が、二人の間にあるからだと思います。その絆が凝縮された一言というのが、「どれだけ間が悪くとも、捕まえるまで絶対に諦めません」という、凛ちゃんの台詞なわけです。
人生というのは、決して平坦な道じゃありません。楽しいこともあれば、辛くて苦しいことも、二人にはあったと思います。思うように作品が仕上がらなくて、悩むこともあったでしょう。現に、このシーンの少し前の回想では、青山先生が「(小説を)書き上げることができたのは、お借りしたこの万年筆のおかげです」と言って、借りていた万年筆をマスターに返そうとします。裏を返せば、青山先生は、小説を書き上げられなくて悩んでいた時期があったということです。今みたいにライトな感じではなく、割とガチめに。
また、青山先生はアニメ1期でこそマスターが亡くなったことを知りませんでしたが、今はもう悟ってるんじゃないですかね。厳密には完全に亡くなったわけではなく、ティッピーの中に魂がいる状態ですが、この世にはもう居ない人として青山先生は認識してるんじゃないかと思います。
辛いとき、苦しいとき、青山先生はどうするかというと、どこかにふらっと消えてしまう癖があります。原稿が中々仕上がらない時に姿を消すのは日常茶飯事ですね。バーのマスターが亡くなってしまったことを悟ったときも、きっと誰も知らないところでショックを受けてたんじゃないでしょうか。
そんな時も、凛ちゃんは追いかけてきてくれたんだと思います。編集として、ではなく、一人の友として。
ご紹介した凛ちゃんの台詞には、そんな二人の苦楽の思い出が詰まっている気がするんですよね。月が綺麗ですね、じゃないですけど、言わなくても伝わる関係ってすごく良いなと思いました。名言として推させていただきます。
・「チノはいつもこれで元気が出るわね」
まあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー泣きましたね、ええ。
原作を読んだときから、このシーンはアニメ化したら絶対泣く人続出するだろうな、と予想はしてましたが、まさかのアニオリ展開、それも原作の泣き度を何倍も何倍も増幅する回想シーンの挿入という手によって、この日、日本中が泣いた(
何が凄まじいかって、この本作トップクラスに泣けるポイントの主役であるチノちゃんのお母さんの声を水樹奈々氏が担当していること。水樹奈々氏といえば紅白歌合戦にも出場経験があり、歌手としても声優としても知らない人はいないと言ってもいいほどの超大御所じゃないですか。その大御所が、3期ごちうさの一番感動するシーンの一つを演じている。水樹奈々、というネームバリューに引かれてやってきた新規の方々をごちうさの沼に引きずり込むシステムが完全に出来上がってるんですよ。
てわけで今さら僕が語るまでもないような気もしますが、このシステムの回転スピードをさらに上げるべく、補足させて下さい。
といってもそれほど長い話ではなく、要するにチノママの愛情が分かるよね、というお話です。ご紹介した画像のシーンで「チノはいつもこれで元気が出るわね」と、チノママは言ってるんですが、元気が出ることを知ってるってことは、何度もチノちゃんを元気付けてきたってことですよね?飴を出す手品は、チノママにとって、愛する娘を笑顔にできる、とっておきの技だった。
これってまさしく、愛情じゃないですか。たとえばチノちゃんが風邪で寝込んでしまったようなときも、チノママは飴を出す手品を披露してきたと思うんですよ。何がキッカケかは分からないですけど、飴を出したらチノちゃんが笑ってくれた事が以前にあって、だからチノママは、手品をやってきた。原作では飴を出す手品が得意だって事しか分からないんですけど、アニメで追加されたこの一言によって、手品にはチノママの愛情が込められていた、チノちゃんは手品を通してお母さんからたくさんの愛情をもらってきた、という事が分かるんです。
僕は回想シーンに入った瞬間も泣きましたが、チノママのこの台詞を聞いた瞬間、二度泣きしました。愛情に満ちた素敵な言葉だと思います。
・「まだ子供だと思っていたお前が、小学校の先生なんて立派な夢を持って、正直嬉しかった」
完全に名言ですね。いやもう、今期のごちうさは本当に衝撃の嵐。まさかこんなアニオリ展開が来るとは予想だにしませんでした。家出したリゼちゃんを迎えにやってきたリゼパパの台詞ですね。
これほどストレートに親としての愛情が分かる台詞も無い。さすが軍人というだけあって、伝えるべき言葉はストレートですね。涙をごまかしたくて笑ったというのも含めてリゼパパらしさがよく出てます。
ごちうさって、メインキャラクターが魅力的なのはもちろんなんですけど、彼女たちを支える家族の存在もしっかり描いてるんですよね。
これは制作サイドの話になるんですけど、アニメって対象はあくまで十代や二十代くらいの人達じゃないですか。もちろん、最近のアニメは大人も観たりしますけど、ファンの比率としてはやはりどうしても若い人が中心になるから、若い人にとってデリケートな話題は避けるというのがセオリーだそうです。家族の話はまさにそれで、若い人たちは多感な年頃だから、親の話をアニメでやるのは実は結構なリスクになる。だから、アニメには親が出てこないことが多いんだとか。
最近はそんなセオリーもあるのかどうか疑問ではありますけど、リスクになるってのはその通りだと思うんですよね。だから、「家族」を正面から描いているごちうさはすごい。
このシーンは見ていてすごくリアルだった覚えがあります。間の取り方や会話のぎこちなさが、いかにも喧嘩中といった感じで、平和なエピソードが多いごちうさの中でも異色のシーンでした。
■まとめ
いかがでしたか?
最初に触れたように、今期のごちうさはまだまだ放送中です。まとめは、最終羽まで見終わってから締めることにしようと思います。
またね!
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