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マイナー浸りに気をつけろ
子どもの頃ピアノを弾く時、
「レ、ファ、ラ」
の音を親に聞かれるのが身も世もあらぬほど恥ずかしかった。
悲しい音色。
私の中にこんな気持ちがあると知られるなど、とんでもないと。
マイナーの表現をすることはトイレを見られるより恥ずかしかった。
悲劇に浸るのはカッコ悪いと、思春期で改めて思ったことがあった。
太宰治の『人間失格』を読んだ時。
なにこれ?
おのれの孤独や悲劇に同意が欲しいんだろうか?
これが世の中、これが人生、これが真理なんだよという物語?
これが文学の金字塔?
ふざけないで。当時の流行文学に過ぎないわ。私にはいい文学でも真理でもなんでもない。読み直そうとも思わなかった。不快になるのはもうイヤよ。現実はそれの10倍不快だった。オフにわざわざそんなもの読むなんて?
精神を患って病院に入れられると、自分も含めてそんな人のオンパレード。
別にみんな一見まともな人たちだ。「自分の不幸」に浸ってることと、その不幸を自慢してることを除けば。
別に病院でなくても、そんなマイナー好きは沢山いる。
演歌もブルーズもきゃあきゃあ言ってるつぶやきたちも、だからこそ人口に膾炙してきた。
「あなたもつらいよね。俺も私もつらいのさ。ひどいと思わない?」
イヤになってきた。
どんなにきつい状況だろうがへこたれず、自ら切り拓いて笑う明るい人たち(数は、少ない)に会ってからは、そんなの恥ずかしくなったから。
自分を叱った。
いつまで泣いて嘆いているの。
もう十分でしょう。
嘆かれてる方は切ないし、亡くなってれば気になって成仏もしづらいの。
涙の鎖で引き止める、自分も他人も死者までも。その涙は真珠ではなく、鉛だよ。
しっかりするの。
好きな人たちの真似したいでしょ?
笑う、光る人たちの。
悲劇や不幸は、浸って中毒するのになかなか甘美なドラッグであり、うつ病への特急券だ。
無理に泣かないなんてしないし、無理矢理笑えと人に強いもしない。
でも私は、ずっと泣いてるのはもうイヤ。
そんな依存症。
あらゆる依存症へのアクセスが便利なジャンクションね。
イヤよ。
つまらないわ。私逃げるわ、バイバイ。もしあなたがそこにいても、あなたはなんとかやってみて。これ以上は手助けできないの。基本あなたがやるしかないのよ。他の人はあなたを背負って人生歩けないの。
あなたが選ぶの。
あなたがやるの。
そしたらもう文句なんか、なんにもなくなる。ヨソにまで口出しするヒマも権利なんかも、ないわよ?自分のこともきちんと出来ないではね。
すべて終わらせた日暮れ。
おなかすいた。
ごひん、食べよ、T兄。お疲れさま、大好き、ごひん食べよ。いまここにいなくてもそばにいる。
笑い始める。
一人。
すると私は一人ではなくなる。
周囲は笑ってる。
みんな、遊ぼう。
あなたが幾つでも、性別や経歴がどうでも、生死も種別も問わず。
遊ぼうよ。
気にするなよ。
つまらないことなんて。