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Method of realization
最近、善と悪について考えていた。
社会的なものだけではない。自分の中にももちろん善悪があり、それがケンカするようなことがあったので。
たとえば
「誰それを許せない」
「だって誰それはこのようにひどいから悪いのだ」
そう考えるのはスピーディーでシンプルな解決法。
この世には沢山のことがありすぎ、速く簡単に処理せざるを得ないところは確かにある。
でも、私はそれがどうにも気持ち悪かったのだ。
「誰それ」=「自分以外の誰か、他の人」→が、悪い。
この方程式が腑に落ちない。
誰かといさかいを起こしたとき、片方が100%悪いというのはあり得ないことだと、心身に叩き込まれている。
Aは白、Bは黒。
一か八か。
100かゼロか。
その見解を決めた自分が絶対。
「そのような考え方はうつ病患者特有である」
と、若い頃精神科でのスクリーニングテストで思いっきり引っかかったものた。
誰かとトラブルになったりした時、胸が痛いのは自分だけで相手のダメージなど想像もできない。ではいつまでも言い争うだけ。お互いに
「どうして認めて【くれない】んだ、こんなに痛い【のに】」
ってやつ。
今朝目覚めて、ふと思った。
速く処理しすぎると見落とす。
ゆっくり自分のペースで考える。
双方の気持ちの声に耳を澄ます。自分の中の。
あわてると見落とす。事故を起こす。スピードが速いほど事故は重大・悲惨になる。
ゆっくり慎重に。
でもグズグズ悩み続けるのじゃない。
ゆっくり確実に、一撃で仕留める。ポイントはどこか?見極めていく。
急かすものには耳を貸さないでいい。
こんなのはイヤ、と思ったらその場や人物から鳥や魚や猫のようにするりと身を躱(かわ)してよそへ行けばいい。相性の問題もある。ムリしなくていい。
私が私の親友なら、私にムリなんかさせない。
自分の落ち度もじっくり考える。
「あ❗️」
という瞬間がある。これでいいんだ、これだ❗️と、腑に落ちる瞬間。
それはまさに体で分かる感覚で、ほとんど霊感や決心と似ている。深く響く。
それは信頼に足る自分自身の感覚。
すると悩みがするするとほどけて晴れていく。突然数式が解けるように。突如外国語が理解できるように。
頭脳で分かることではない、心身で感じ取って納得がいく感覚こそが「理解」。
そして理解なくして進歩はない。
分かったつもりで動くのは危険だと知ってる。
マニュアルだけを読んで運転操作するようなもの。体で分かってないとできない。
2017年のクリスマスイヴの早朝、何もかも困憊し行き詰まっていた私は夢を見た。
そして知った。
「愛」、というよく使う言葉の本当の意味を、私は分かってすらいなかったんだと。
ゆっくり、けれど確実に分かる必要がある大切なこと。
もしそう気づかなかったら、私はとうに人生にも世間にもさじを投げて、どんどん不幸になろうが構わずひねくれていったと思う。
「わかんない❗️もういいよ❗️嫌い❗️」
それはあらゆる悪事の温床でもある。
「落ち着いて。あわてないでいいのよ」
よく観て、やってみて、失敗して、感じて、体ごと知っていく。大切なことを学ぶのには、一生をかけたっていい。