【小説】第4話 天海の行方
翌日、司は少し早起きをして、バスに乗り急ぎ足で大学へと向かった。
そして人の波を見渡して、天海の姿を探す。
「結局、学部も学科も聞いてないんだよね」
昨夜の居酒屋での記憶が、胸に鉛をつけたようになっていて、鳩尾の辺りが重く感じる。
つい溜息を零した司は、その日から、天海の姿を探すようになった。
しかし一週間が経過しても、一度も構内で顔を合わせる事は無かった。
「でも今日は、多元宇宙論の講義だから、一緒になるよね?」
これまでも、考えてみると、この曜日しか顔は合わせていなかった。だが今日は、天海も出席するはずだ。そう考えて大講堂に向かったのだが、予鈴が鳴っても、天海の姿はない。いつも座る位置に腰を下ろした司は、普段はこの講義ばかりは真面目に聞くというのに、本日は気もそぞろになってしまい、ずっと扉の方を、チラチラと見てしまった。
「……来なかった」
結局その日、講義が終わるまでの間に、天海は姿を現さなかった。彼に限って遅刻は亡いと司は感じたけれど、もしも(・・・)ということもある。まさかまだ居酒屋での詐欺師呼ばわりを気にしているというわけではないと、思いたかった。
この日天海は、いつも学食に司と共に足を運んでいた。つまり学食を日常的に利用しているのだろうと当初は思っていたが、この一週間、一度も学食では見かけなかった。
一縷の望みをかけて、司は学食へと向かう。混雑している学食の中を回り、天海の姿を探したが、やはりどこにも天海はいない。ただこんな時でも空腹は感じるもので、司は先週も食べた唐揚げそばを本日も注文した。そして一人がけの席に座ると、これまではいつも二人がけの席であったから、少し寂しさを覚えた。俯き、割り箸で唐揚げをつまむ。それを口に運びながら、空しい心地になったけれど、唐揚げそばは美味だった。
その次の週も、天海は姿を見せなかった。
そして三週目の本日も、天海がいないまま、多元宇宙論の講義は終わった。
座ったまま肩を落としていた時、司の元に誰かが歩みよってきた。その気配に、司は顔を上げる。
「神谷くんだね?」
見ればそこには、真鍋准教授が立っていた。眼鏡をかけている先生は、講義の時は、いつも表情を変えないのだが、今はどこか苦笑しているように見えた。司は慌てて大きく何度も頷く。
「は、はい!」
「少し尋ねたいことがあってね」
「なんですか!?」
「――天海くんは、どうしたんだね?」
その言葉に、司は息を呑む。先生ならば、何か知っているかもしれない、少なくとも学科や学部は、履修登録する際に大学に履修届を提出するのだから、知っているはずだと考える。
「僕も探しているんです。どこの学部か知りませんか?」
すると真鍋教授は、思案するように瞳を揺らしてから、困ったような様子で、小さく首を動かした。顔が斜めに動く。
「彼はね、ここだけの話だが、講義には登録していない学生だったんだよ。だから私も、講義中に小レポートの課題をその場で出して回収した際に、そこに書かれていた天海という二文字のみしか、彼の素性を知らないんだ。だから学部や学科はおろか、聴講生でもない彼を、私はてっきり大学の外部から潜り込んで講義を受けている青年だと考えていたんだ。他の教授達にそれとなく聞いても、やはり誰も天海くんがどこの学部や学科なのかは知らなかったものでね」
その言葉に驚いて、司は目を見開いた。
「彼は非常に優秀な青年だった。だから熱心に講義を受講する彼を、私は追い出そうとは思わなかった。だから、もう来ないのならば、非常に残念だと感じるよ」
司は思わず、片手で口を覆う。
何度かゆっくりと瞬きをしながら、じっくりと考える。
先生の話が事実ならば、もう天海には会えない可能性がある。そう思うと、いやな胸騒ぎがした。焦燥感のようなものが、体の奥から浮かび上がってくる。
「神谷くん。私は君のことも、とても優秀な学生だと考えているよ」
その時、真鍋准教授が柔らかく笑った。実は大学院に行くために院試を受けるか、それとも就職するか、司は悩んでいる。大学院に行き、現在興味がある多元宇宙論を、真鍋准教授の研究室で専門的に学びたい気持ちと、貧乏学生であるから、生活を考えると大学院の学費は、実家の家族に援助して貰わなければ厳しく、奨学金とアルバイト代だけでは支払えないため、諦めて就職するべきか、考えている。その、いつか直接学びたいと感じている先生に、褒められた事で、少しだけ気分が浮上した。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、私の講義に耳を傾けてくれてありがとう。では、また来週」
真鍋准教授は、そう述べると、踵を返し大講堂から出て行った。
その背中を見送ってから、ノート類を鞄にしまい、司は立ち上がった。
「そっか。だから大学を探しても、見つからなかったのか」
ぽつりと呟きながら、司はエレベーターに乗る。
そして昼食をとり、この日の残りの講義を消化した。
本日は、バイトは休みだ。だから真っ直ぐに帰宅した時、何気なくテレビを見た。
「そういえば天海は……三週間後の夜、つまり今日だ! 今日テレビを見ろと言っていたよね? なんだか予見するとかって……うん。ジャクソン病の治療薬が開発されたニュースが流れんだっけ?」
そう考えて、何気なく司はテレビをつけた。すると速報で、記者会見の映像が流れてきた。
「緊急速報です。桜葉大学の医学部附属病院の郷原春夫教授が、世界で初めて難病に指定されているジャクソン病の治療薬の開発に成功したと発表しました。郷原教授によると――」
司は驚愕して目を剥き、硬直した。テレビのモニターを凝視し、天海の言葉の通りに、アナウンサーが話していることを確認した。現実だと確認するにつれ、今度は指先が震えた。衝撃がそれだけ強かったからだ。
「本当に……天海が言った通りになった……」
唖然としながらもそう口にしてから、静かに目を伏せ、司は考える。
「未来を予見したともいえるけど、ただ治療薬だから、その大学の関係者だった可能性もあるよね?」
合理的に考えるのならば、その可能性は高い。
だがそれ以上に、天海に再会できるかもしれないという希望が見えてきたことが、司の心を軽くした。
「確か桜葉大学には、中・高校の時の……そうだ、先輩の永瀬さんがいるはずだ。ちょっと聞いてみよ」
何度も一人首を縦に動かす。
司は、公立の中高一貫校に通っていた。定期的に中学と高校の交流があって、永瀬先輩は司の四歳年上だった。現在司は大学三年生の二十一歳だが、永瀬先輩は大学院の一年生だったと、昨年帰省した先での飲み会で聞いた記憶があった。
すぐに携帯端末を取り出して、永瀬先輩に連絡を試みる。
するとメッセージアプリに、すぐに返事がきた。
大学にひっそりと入れてくれるとのことだった。本来は部外者は立ち入り禁止であるが、桜葉大の学生のフリをして、構内に入る手伝いをしてくれるとのことだった。小さな悪事であり、冒険でもある。日時を打ち合わせし、深呼吸してから、司は入浴することにした。