自分に優しくなれることも割と大事なんじゃねって話 みずのーとvol.11


肩たたき券って最初に考えた人誰なんでしょうね。水菜です。


今はあんまりできてないけど、人狼ジャッジメントでガチ部屋とか行ってた時期もあるんですよ。私。

で、良い人も悪い人もよく分からない人も色んな人がいて、様々な発言を耳にすることができます。


その内、ちょっと引っかかるような発言があるんですよね。

例えば、「一見優しいんじゃないかと思う人」がいて。

そういう人は自分のしたミスに対して、軽いことでも結構謝ったり、自分を責めたりするんですよね。


「あそこで縄回避できなかったから負けた。本当自分クソだ。」とか

間違えた指摘をした後に、「や、これは自分吊りでいいわ。完全に俺のミスだから。まじすまん。」(その人市民陣営)

と言う人とか。


一見、良い人じゃん?と思うかもしれませんがなんか私はそうには思えなくて。

この人は、他人が同じミスをしたら同じく他人を責めるような人なんじゃないか?って思ってしまいます。


例えば「縄回避できなかった自分が許せない!」って感情を持つ人なら、味方の人狼が縄回避できなかったら同じく許せないんじゃないかと邪推してしまいます。


別に人狼に限ったことじゃありません。

例えば待ち合わせの時間に遅れたり何か軽いミスをした時に自分を責めている人がいると、他の人が同じことしてたらそう思うのかなぁと思ってしまうんですよね。

そもそも、自分を責めながら生きるって結構辛くね?って考えます。


勿論、自分には厳しいけど他人には優しいって人もいると思いますが……。

でもそうなると自分自身で許せないことを他人がやったら気にしないってスタイルとなるので、それはそれでうーんって感じです。


ここまで前置きで、そろそろ結局何が言いたいんや!ってなる時期だと思いますが。

まず結論から言うと、

自分の行いを反省するのは大事。でも責めるのは自分自身じゃなくてそのやり方。

なんじゃないかって話です。


例えば縄回避できなかったら、

「あの時◯◯の発言を指摘できなかったのが悪かった!」

等やり方が反省できればそれでヨシ!なんです。


だから自分はダメだ、クソ(さん)だ、とかそれ以降は一切要らないんですよ。


こういう考え方の方が平和なんじゃないかなって思います。

自分のことを良いか悪いか決めるのって、色々な要素はあれども最終的には自分だと考えてます。


例えば…

・「私はAさんからつまらない人だと思われてる」

・「私はあの時Bさんとうまく喋ることができなかった」

・「私はCさんと仲良くできてない」

→だから私はダメだ

という「前提」の要素(事例や他人の評価)から「結論」として自己評価してる人多いと思いますが

どうしても人間はネガティブなことに目が行きやすいと聞いたことあるんで、多分それじゃ良い結果出にくいと思いやす。


なので、「とりあえず」

私はそんな悪い人間じゃない

という「前提」を置いてみましょう。すると…


・「私はAさんからつまらない人だと思われてる」→そっか。or まぁ他に仲良い人いるし。

・「私はあの時Bさんとうまく喋ることができなかった」→私はダメじゃないのでたまたまやろう or 次はいける or じゃあ練習してみるか…

・「私はCさんと仲良くできてない」→まぁなんとかなるやろ


など、前提があると、対処法も考えやすくなるんじゃないかなって思いました。

本当素人が考えたアレですけど、少しでも助けになればよろしくてよ……。


またらいしゅう…










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