みずのーとvol.4『食べると不幸になるケーキ』
知らない土地を歩くのは気分転換になる。
全てのものが新鮮に見えて、リピートする毎日から抜け出したような気分になれるから好きだ。
そして、ふらっとカフェに立ち寄り一服する。これが仕事疲れに生きる現代人の最高の癒しといっても過言じゃないだろう。
人通りの少ない道を歩いていると、古びたような外観で、しかし汚らしさを感じない喫茶店を見つけた。
これこれ、こういうのでいいんだよ。中の雰囲気に期待しつつ、ドアを引き懐かしいベルの音を聞きながら入店した。
「いらっしゃいませ。」
落ち着いた雰囲気の、初老の男性のマスターが出迎えてくれる。今日も落ち着いて過ごせそうだ……と思ったのも束の間。
店内が騒がしい。
辺りを見渡すと、制服を着た女子高生の集団や、若いカップル、「女子会」を行う30代の方々達が楽しそうに会話していた。
うわっ…違うんだよ。俺が求めていたのはこういうのじゃない。ほどよく静かな環境で、落ち着いてコーヒーでも飲みたかったんだ。
口惜しくしている様子を気にかけてくれたのか、マスターが声をかけてくれた。
「すみませんね、賑やかですよね。」
「あぁ…大丈夫ですよ。ちょっと思ったのは違いますが、折角なので。」
こう声をかけられると優しい言葉が出てしまう。仕方ないので今日はここで一服しようと思った際、店内の雰囲気に多少の違和感を感じた。
ここは人通りも少なく、お世辞にも交通の便が良いとも言えないし、外観も派手ではない。なぜこの喫茶店にここまでのお客さんがいるのだろうか。
「すみません、どうして今日はこんなに賑わっているんですか?」
突然の質問のせいか少し間があったが、マスターは穏やかな口調で答えた。
「少し前からですね。ここのとあるメニューがインターネットで流行っているみたいで、それを頼むお客様が増えているんですよね。」
なるほど、穴場と思っていたが有名なところに来てしまったのか。自分の運の無さを悔やんだ。
「少し変わったケーキがございまして、今日ご来店なさった方々もそちらを注文されているんですよ。」
確かに、周りを見ると皆同じ黒いケーキを食べている。全員ではないが、1テーブルに1つはそのケーキが置いてある。
「そのケーキが有名なんですね。ありがとうございます。変わった、と言ってましたがどんなものなんですか?」
「実はですね、食べると不幸になると言われているんですよ。」
突然の答えに仰天した。食べると不幸になるケーキ?そんなものが存在し、そしてそれを皆食べている。この状況をすぐには飲み込めない。
「は、はぁ…なんでそんなものがあるんですか?」
「私の父も同じく喫茶店を経営していまして。その父が遺したメニューの一つがこれだったんですよ。」
変わらず、穏やかな口調で続ける。
「最初はただのケーキだと思っていました。しかし、それを食べた人が次々悪い出来事に巻き込まれてしまうんです。軽く済んだ方もいらっしゃいますが、恋人と別れた人や、事故に遭う人もいました。」
にわかには信じがたい話であるが、マスターが嘘や冗談を言っているようには見えない。
「一時は販売休止しようかと思いました。しかし、多くのお客様がこのケーキを求めてご来店されるのです。こちらとしても喫茶店としての経営も厳しい限り。悪魔に魂を売るような形で、現在も続けております……」
「はぁ…そうなんですか。売れているということに驚くんですけど、みんな面白半分なんですかね。」
「そうなんです。あまり信じない方も多くいらっしゃって。しかしこのケーキのおかげで名が知れて、他のメニューを注文されるお客様も少なくないのです。なので、ジレンマに陥ってしまいます。」
マスターの話は興味深いが、現実離れしているためどうしても信じがたい。
ぼんやり考え事をしながらケーキを食べる人々の姿を眺めていると、一つの疑問が頭に浮かんだ。
「…あの人たちって、不幸なんですかね?」
突然の質問に、マスターは不意をつかれたようであった。
「……どういうことでしょうか?」
「あ、いや。あの人たちは自分で物事を選択しているんですよね。だからそれは不幸なのかなと思ったんですよ。」
「えっと、すなわち?」
「あー、自論なんですけど、人間って常に自分が幸せになる行動は何かを無意識で考えて行動していると思うんですよね。誰かのために行動するとしても、それは自分がそうしたいからしている行動じゃないですか。他人のためであると同時に自分のためなんじゃないかな、と思うんですよ。」
「ほぅ……?」
思いもよらないことを言われたかのような反応をマスターが見せる。
「だから、不幸になるかもしれないという選択を自分でしているとしても、それは自身の幸せに向かっているんじゃないかと思うんですよ。だって、彼らにも他のメニューを食べるという選択肢があるじゃないですか。」
マスターは真剣な表情を構え頷く。
「でも、そうしなかった。彼らにとっては不幸になるかもしれないものを食べる方が、食べないよりマシだったのではないかと考えたんです。それに…」
「それに?」
「何が不幸で何が幸せかって、個人個人でしか計れないと思うんですよ。例えば失恋は悲しいものですが、それを乗り越えて強く優しくなれたならば、必ずしも不必要なものでもないのかな…と思うんです。」
マスターは静かながらも、真剣に話を聞いている。
「…ならば、不幸になるケーキを食べたお客様が必ずしも不幸とは言い切れないということでしょうか?」
「そうですね。もちろん、中には自身で破滅の道を歩んでいる人もいるかもしれませんが…。何が不幸か何が幸せかって、その人次第。もっと言えば、その人がどう捉えるか次第だと思うんですよ。」
その答えにマスターはハッとした様子だった。
「例えばあのノリが軽そうなお客さんは、襲ってくる不幸をむしろ楽しみにしてそうです。きっと、それを乗り越えれば笑い話にでもなると思います。」
マスターは今までに無い真剣な表情をしている。
「なるほど。良い話を聞くことができました。周囲からは不幸に見えても、本人がそれを不幸と思わなければそれは不幸では無い、のかもしれませんね。」
「そうです…あっ」
タイミングの悪い時に腹の虫が鳴ってしまった。僅かな恥ずかしさが自身を襲う。
「すみません、長話を。」
「いえいえ、私としてもあなたの考えを聞くことができて新鮮でした。愉快な時間でしたよ。そろそろお腹も空いてきた頃でしょうし、何かご注文いかがなさいますか?今日はレモンのタルトがおすすめですよ。」
「そうですね…」
…
……
「すみません、じゃあこれを一つ。」
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