私が見ている未来
「運命に飲み込まれるか、自ら赴く(おもむく)かは決められる」
どんな未来が来るのか見えている人と見えていない人との差を
“未来格差” と呼ぶそうです。
私が見ている未来はカリスマによる群雄割拠のコミュニティ時代です。2017年末の今でも “意識高い系” フォロワーの世界では、すでに始まっていることです。そして、目には見えにくいことではありますが、Google支配・Amazon支配・Facebook支配は徐々に世界を多い尽くすはずです。
私が実現したい未来
「歴史を知り、海外を知ると未来から来た人みたいになれる」
箕輪編集室の定例会でNewsPicks佐々木さんが教えてくれたことです。
資本主義において富める者がより富むというのが常識なように、価値主義においては信用(みたいなもの)を持つ者に信用が集まるのが自然です。(「資本主義」「価値主義」については佐藤航陽著『お金2.0』で)
何か特別でないと雲の上の存在には手が届かないのでしょうか?
私にも答えはわかりません。
でも、「そんなことはない」という考えで行動することと諦めてしまった上で行動することは選ぶことができます。
私が実現したいのは、本に例えるならば、誰でも著者になれる世界です。
自分が著者になれる根拠
私がこの考えに至ったきっかけはいくつかの複合的な要因があります。一番大きなものは、堀江貴文責任編集『堀江貴文という生き方』に出て来る小林幸子復活のメカニズムを目にしたことです。前田裕二著『人生の勝算』にもとても似た表現が出て来ます。ここでは、西野亮廣さんのブログですでに公開されている『人生の勝算』の図をお借りしたいと思います。
インターネットがなかった頃。カリスマとして、リアルで生き残るためには右上のC象限しかゴールはありませんでした。ですが、今は右下のB象限で十分に幸せな日々を送ることができる環境が整っており、これからも当面大丈夫でしょう。
ファンの数が多いか少ないかについても、人間一人を支えるのに必要なファンの人数なんてそんなに多い数ではありません。配信一つとっても、TV局のように10人も20人もの生活を支える必要はありません。多くて5人くらいではないでしょうか。
それから、インターネットによってTVで言うところのチャンネルが無限に増殖していくため、どんなにニッチでマニアックなものでも配信できるようになっています。すでに、なっているのです。
昔は本を新聞広告やTVCMで宣伝していましたが、今はそんなことしませんし、そもそもアウトプットの形が本である必要もないです。
ひたすらゲームが好きとか、ひたすら熱帯魚が好きとか、そういうのでいいんです。よく堀江さんが例に出すのはアイスマン福留ですよね。
コミュニティという仕組みは武器になる
すごくゲームが好きなのに同じレベルで語り合える人がいない。熱帯魚への愛がものすごいのに同じレベルで語り合える人がいない。そんなマニアックな話し相手を見つけることなんて普通はなかなかできないことだし、とっても手間がかかることです。
その一方で、最低限の物質的欲求が飽和してしまった現代で、有意義な「時間消費」が強く求められています。「ここに行けば●●さんがいる」という場はそれ自体に価値があるものとなります。ちなみに●●さんは、コミュニティ内の知っている人だけが知っていて有名人である必要すらないわけです。
私にも答えはわかりません。
できると思って行動するのか、できないと諦めて行動するのかは私たちそれぞれの自由です。ただひとつ言えることは、この道が実現するなら早く気づいた人ほど有利ということです。
おわり
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