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FAXを送る 父について語るとき

村上春樹が父との思い出をエッセイにしていたので。
烏滸がましいけれど、私も「父の日」を前に、父との思い出を書こうと思う。


中学生の時、私は父とどう接したらいいのか分からなくて、反抗的な態度ばかりとっていた。と同時に、無口で何を考えているかよくわからない父は、私にとって怖い存在でしかなかった。

悪さすれば容赦なく引っ叩かれ、記憶に残っているのは怒っている姿だけ。理不尽だと思う怒られ方をしてどうしようもなくムカつくと、私は耳にピアスの穴を開けていた。

左に3つ、右に2つピアスの穴が開いた時に、父は単身赴任することになった。父は、家を離れる前に「一週間に1度、必ずFAXで近況報告をするように」と私に約束させた。

面倒くさいなぁと思いつつも、はじめの方は一枚の紙に、学校であった当たり障りの無い出来事などを書いて送っていた。別に返事をくれるわけでもない。ただ、たまに書かずに放っておくと「早く近況報告を送るように」とだけ電話が入る。渋々FAXを書き続けた。

手紙と一緒なのだが、書いていると不思議なもので、今までは話さなかったようなことまですらすらと書けてしまう。しばらく書いているうちに、ほんのちょっとした感情の変化まで知らせるようになった。

父の誕生日にも、FAXで「おめでとう」を送る。付け加えて、普段言えないような恥ずかしいセリフも書けちゃったりした。日が経つにつれて、遠く離れた父との距離がぐんと縮まったような気がした。不思議と父が単身赴任になってから、ピアスの穴が増えることはなかった。

高校生になった時、友達の家に遊びに行くついでに、初めて東京にいる父の家に泊まりにいったことがあった。東京につくと、父から「仕事で遅くなるから、ポストにある鍵をとって勝手に入るように」と電話があった。

鍵を開けて部屋に入ると、いかにも男の一人暮らし、といった殺風景な部屋の片隅に、大量の紙の束が重ねておいてあるのを見つけた。それは、私が今までに送ったFAXの束だった。

何十枚というFAXを父は大事にとってくれていた。一枚一枚見直してみると、私が間違えて書いた漢字にはご丁寧に赤で修正までしてある。父の誕生日に書いたケーキの絵とおめでとうのFAXは壁に貼ってあった。

それを見て、ちょっと泣きそうになった。それからだ。父とよく話すようになったのは。夏休みやお正月に帰ってくると、たいてい深夜までいろんなことを語り合った。最近のお笑い芸人のことや、漫画や父の仕事のことや世の中の動きや経済のことまで。

今まで父親のことなんてこれっぽっちも分からなかったけれど、新しいものに敏感でよくものを考えている人なんだな、と知った。初めて父のことを尊敬するようになったのがこの時期だった。


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