よく読み、よく登り、よく書く。それが登山者。
山を歩き始めて2年が経とうとしている。
年が明けたばかりのまだ寒い季節。ふと思い立ち、あり合わせの何となくアウトドアっぽい服を選んで、学生の頃に買った古いミレーのザックを押し入れから引っ張り出し、街履きのスニーカーを履き、カメラを首に掛け、ひとり山へ向かってみた。
木々の中を木の根っこを避けながら、土の上を歩く。時には岩岩した上も歩くその感覚は、とても懐かしいもので、それは童心に戻った様な無邪気な感情がもたらされた。
あっという間にスニーカーはボロボロになって、麓に下りる頃には爪先が痛くて痛くて、3度目の山歩きの時には登山靴を新調する事を決めた。何となく山歩きを続けられそうに感じられたからだと思う。
山を歩く不安と期待が入り混じるこの楽しい感覚はなんだろう。そして無事に歩き終えた後の、何かすごいことを成し遂げた様な達成感。小さな里山を歩いただけなのに、この清々しい気分。
日常では得られないほどの自己肯定感は。ひとりで計画を立てれた。登山口まで辿り着けた。お腹を満たせた。重い荷物を背負って歩き続けることが出来た。美味しいビール。そして、無事にお家へ帰って来れた。
一つ一つを滞りなく、全ての計画を安全に遂行できたことへの自己満足。
あそこが歩けたから次はここが行けるかもしれない。
手探りで山を探しては、手探りで準備を整えて、また出掛けていく。
新しいことを始める手探りの、一つ一つが楽しく、没頭し、夢中になっていることに気づく。
一般登山道での山歩きは、とりあえず準備さえ怠らなければ、特に難しいものではない。
だけど、その準備は多岐に渡る。何を準備するべきなのか、まずそこを知ることから始まる。一朝一夕ではいかないし、徐々にしか上がらない。
エスカレートし過ぎてないか、常に自問自答。
飛躍しているかどうかは自分のみぞ知るところであると思うし、それは自分が1番良く分かっているはず。そこを見誤るとたぶん痛い目に遭うに違いない。
そして山歩きを始めたら、山歩きの文献を読み漁り、不思議だけど自分でも徒然とその出来事を書くことが好きになった。
読み漁る中でふと、「よく読み、よく登り、よく書く。それが登山者」という言葉が目に止まり、それがずっと心に残っている。
そして、また冬がやってきた。