赤岳から硫黄岳へ。南八ヶ岳から北八ヶ岳の縦走①
2024.9.14-15
日々の喧騒から逃げる様に、また西へ向かう列車に乗っている。
3連休というのもあり、あずさ号の座席も早々に埋まっていて、出遅れた暁にはイス取りゲームの様に、ネットで座席の空き状況を見に行っては一喜一憂する。
初秋の山歩き。何処へ行こうかと、ジョンコナー隊長と相談してると、うまく赤岳頂上山荘の予約が取れて、八ヶ岳に決定。
去年の10月に赤岳鉱泉でテント泊をして南八ヶ岳、赤岳を歩いてから約1年。冬の間は北八ヶ岳界隈をうろうろして、赤岳を眺める度に、もう一度行きたいな、と想いを募らしてはまたその時を待っていました。
DAY 1
南八ヶ岳から北八ヶ岳までの縦走を計画。中央本線の茅野駅からバスに揺られて美濃戸口登山口へ。
赤岳頂上山荘へは15時には到着を、、と言われていましたが、急がない、ゆっくり山歩きを信条とする我々にはとてもじゃないけどその時間に着くにはかなり急がないといけません。
16時。この時間を目指して山小屋へも連絡します。
美濃戸口を歩き始めるとちょこちょこと山小屋が現れては、まだまだ和やかムードで歩いていき美濃戸の岐路に差し掛かる。
今回は南沢ルート。
苔むした森にまた八ヶ岳に来た、と実感させられる。
途中、父親とはぐれてしまった紫色のシャツを着た外国人の青年に声を掛けられ、70代の白髪の男性を見かけなかったか?と、どうやら父親を見失ってしまったみたい。そして父親は日本人らしい。遅れていってしまったのか、先に行ってしまったのか、、
その後、それらしき男性にすれ違った時、お声がけしてみたが違ったようだ。しばらくして、その青年が駆け上がっていく後ろ姿を見た。
とりあえず行者小屋に到着しお昼ごはん。
そこから地蔵尾根へ。地蔵尾根はもっとすごいハシゴ場があって少し怖かった記憶がありましたが、なんか少しその記憶とは違って割とスムーズに地蔵の頭の稜線に到達。
そしてすぐそばには赤岳天望荘。ここまで来れば一安心、しばし小屋で小休止。と、先程の紫色のシャツの青年が、隣に白髪の父親らしき男性と一緒に小屋にいたのを見つける。
あ、会えたんですね!良かったですね!
ハイ! きつく叱りました!笑、と、その横にはバツの悪そうな表情をしている父親がいて、ホッとみんなで微笑む。良かった。
70代と聞いて、疲れてはぐれてしまったのかな、、などと思っていたけど、どうも逆でお転婆なお父様、お転爺さんだった様です。
再び歩き始める。
赤岳天望荘からはそう遠くなかったはず、、すぐに赤岳頂上山荘へ辿り着けたはず。。と思っていたのも束の間、その記憶は間違っていてかなり急な、最後の登りをへーコラとゆっくり登る。
ガスが濃くなってきて下界はもう見えない。そして山小屋がいよいよ見えてきた。
去年、赤岳鉱泉でテント泊をして翌朝赤岳に登頂し、その後、赤岳頂上山荘で暖かいココアを飲んだ。
その時からずっとここに泊まってみたいな~という思いがあって、今日、ようやくその念願が叶う。
荷物を下ろしてからは、赤岳山頂まで夕暮れを待ちながら、うろうろと写真を撮りに散歩する。
切り立った崖を駆け上がる様に雲々が頭上を越えていく。その雲の切間からふわっと山々と麓の町が見える。
すごい!
と思わず声に出て、見ず知らずの人ともきゃっきゃできる。これは良い景色だ。
まるで山が燃ゆる様な景色。初めて見た景色。
寒さも忘れてシャッターを切っているうちに18時の夜ごはんの時間。ジョッキの生ビールで登頂の乾杯。おいしい、ごはんも美味しい、全てが美味しい。
食事の後、夕暮れの名残がまだほんの少し残っている景色をまた眺めに外へ出る。すっかり麓の町並に明かりが灯り、標高2899mからの夜景が雲の切間から見える。ブレてもノイズが乗ってもシャッターを切ってしまう。そして程なく、濃いモヤに包まれてフィナーレを告げる。
山小屋は雑魚寝状態だけど、隣とは割と距離があって不快感はなく、20時過ぎ消灯がなされ程なく眠りにつく。。。おやすみなさい。。。。。
つづく