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今日はここを山頂とする。
ひとりで山を歩いていると、挨拶以外に基本声を出すことはあまりない。
急登続きで、思わず、んぁしんどっ、とか、あまりの絶景の時は、っすごいっ、などと口に出ることはあるが、それ以外は黙って、黙々と歩いている。
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時間的にも気力的にも、いよいよ迫ってきて、まだ計画は道半ばでも、ここらで引き返そうかな、いやまだ行けるかな、など脳内ブレストが始まると、だいたいもう引き返す方向に心は傾いている。
「やめよう」と声に出す。
その時だけは、自分に切り替える合図を出すのである。声にして口に出さないと切り替わらない。無言で回れ右をするのは何か違う気がする。
声に出すことで、ここで引き返すと決めたんだ。という決意表明を自分にすることになる。
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日帰りの特に初めての山で時間的にギリギリな計画は、引き返し、もしくはエスケープ出来るポイントを予め何となく設定・想定をしている。
折角、朝早く起きて安くはない交通費を払い、時間も掛けて来ているのである。途中で止めるのはやっぱり心に引っかかる。計画を達成することに頭が熱くなったりもする。
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でも、折角、朝早く起きて安くはない交通費を払い、時間も掛けて来ているのに、バスの時間に慌てて焦りながら半ば駆け足の様に下山するとか、間に合わず山奥の夕暮れのバス停にポツンと取り残される。なんて考えたくもない。
たとえ目的が達成出来たとしても台無しの様に感じてしまう。
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ゆっくりと、しみじみと、しに山へ来ていることが1番の目的である。
と冷静になって、バスの時間まで、電車の時間まで、ゆっくりビールを飲みながら、その日の山歩きの思い出に浸っている方が有意義な時間の過ごしている。と思うようになり、割とすっぱりと「今日の山頂」を決める事ができる様になった。
誰のために山を歩いているのではなく、自分のために山を歩いている。静かな山の道をとぼとぼと歩いているのが合っているんでしょう。