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ワールド・イズ・ノット・イナフ
ここ最近は枕元にスマホを置き、ラジオを流しながら寝ている。微小な音を流しながら寝ると寝つきが良くなるらしいが、ラジオに聞き入ってしまうと話に夢中になり眠れなくなってしまうこともあるので、この睡眠法が効果あるのかどうかはわからない。
メディア論の始祖とされるカナダ出身の英文学者、文明批評家ハーバート・マーシャル・マクルーハンのメディア論の一つに、「クールメディア」と「ホットメディア」というカテゴライズがある。
ハーバート・マーシャル・マクルーハン曰く、データの密度が高く受け取り手の参与度が低い「ホットなメディア」と、受け取り手の参与度がより高い「クールなメディア」とに分類でき、テレビや動画みたいな解像度の高い(データの密度が高い)主に人間が目を使って理解するものはクールメディアと言って、受け手は「理解力」という能力を発揮しなくても簡単に理解でき、そして、メディアの発信側も受け手にそういった理解を要求しなくなってくる。これに対してラジオや本を読むという行為はホットメディアと言って、発信側の切っ掛けを与えられることで、受け手が受信した言葉や文字から想像をすることで初めて物語が成立するような、つまり、受け手の「想像力」を働かせるメディアを総じてホットメディアと定義した。
まとめると、楽で合理的で受動的なのが「クールメディア」なのに対して、「想像」をするというプロセスを挟まなければならないのが、「ホットメディア」となる。たぶん、多くの人もそう感じていると思うが、今の時代世の中に求められているのは、どちらかというと前者のクールメディアの方に思われる。
私自身、クールメディアの恩恵は大いに受けていて、動画を視聴しないという日は一日もない。しかし、一つだけ思うのは、クールメディアのように受動的に情報を授受する伝達法は、授受側の考える力が働きにくくなる傾向があるように思える。
上記したように発信側が受け手にわかりやすく、簡単に理解できるような工夫を凝らしているから当たり前なのかもしれないが、その情報を受け取っても何も響かないと感じることが多くなった気もするし、いろいろと自分なりに考えてみるという行為にも発展しないことが多い気がする。ただ単に、情報を受け取って(消費して)それでおしまいということは多い。
逆に、本を読むこと、ラジオで話を聞いて想像力を働かせることは、すでに自分の頭の中で物語を組み立てている(想像している)こともあり、そこから更に自分なりの考えを作り上げやすい傾向がある。少なくとも私には。
AIの普及によって益々、自分の都合のいい情報しか調べなくなってくる時代となり、すでに個々人のポジションに合わせたニュースを提供しているところもある。ますます、「クール=カッコいい」というように、クールメディアの時代は加速し、ホットメディアは衰退の一途を辿ることは想像に難くない。
しかし、それでも、私は本を読むこと、考えることは大事だと思っている。恐らく、「情報を知る」と言う事は誰にでも出来る時代なので、「考えられる」という人に希少性がつく時代が来ると思うから。