ひとりの夜、延長戦は子持昆布をお供に
わたしは夜を延長することができる。
あと少しだけ自分だけの夜があれば、きっと明日からもがんばれる。そんな時に、夜を延長する魔法を使う。
家に着けばもう、「今日」が終わってしまう気がするから、わたしは逃げるように夜更けの街を歩く。
延長された夜の舞台
パソコンが入った重たいかばんをものともせず、帰り道の最短ルートを無視して脇にそれる。暗い川べりを抜けて、赤や緑のネオンの下を潜り、ズンズン大股で歩く。
店の名が書かれた縦に長い木の板を見つけると、無意識に入れていた肩の力が抜ける。クールですね、サバサバしていますね、と揶揄される仕事用の自分が抜け殻となって足もとに落ちる。抜け殻がシュワシュワと消えていくのを見送ってから、店の暖簾をくぐった。
いつもは恋人と並ぶ立ち食い寿司のカウンターに、今夜はひとり、背筋を伸ばしている。日付も変わりかけた夜更け、人はまばら。最初に届いたおしぼりとビールで、カウンターの中に私的な面積をつくる。いつもより広めに。客の少ない夜更けだからできる小さな贅沢。
なんでひとりで飲むんだろう
ひとりで飲みに行くことは稀ではない。そう話すと大抵「ひとりで何をするの」と聞かれる。いつも、じょうずに答えられない。何をしているんだろう。
「気楽だからね」と答えてみる。相手の好みを考える必要もないし、店を出るタイミングを推し量らなくてもいい。二軒目に行くかどうかの腹の探り合いもない。
でも、それはひとりで飲む目的ではないから、じょうずな答えじゃないなと思う。
ビールが通過する喉の冷たさ
そしてそれがお腹に落ちる音
悩みに悩んで選抜したおつまみの味
少しずつお酒が満ちていく脳
考えごとをして、その考えていること自体を意識する自分
すべての感覚が内側を向いて、開いていた細胞がパタンパタンと閉じていく。そんな時間がないと、ちょっと生きていきづらいのかなと思う。ひとり酒はお酒とおつまみを愛でて、自分自身を柔らかくする時間。
夜更けのおつまみに子持昆布を
立ち食い寿司のカウンターで職人と対峙し、今日のおすすめとにらめっこする。ひとり分の注文にミスは許されない。食べきれない量を頼むわけにいかないから。ひとしきり眺めて、「握り」の欄に書かれたメニューに目を戻す。
「握りの子持昆布、つまみでできますか?」
子持昆布はおせち料理で目にすることも多いからなんだかメデタイ感じがするけれど、ぐんぐんとお酒を進める優秀な日常のおつまみだ。だし汁とほのかなお醤油の味がたまらない。さらに、味だけじゃなく歯ざわりも楽しめる子持昆布は、一口ひとくちに集中できるひとり酒にぴったりだ。
気の良い職人は二貫分の子持昆布をつまみにしてくれた。わさびを箸でつまんで子持昆布の上にちょこんと乗せ、落とさないように口に運ぶ。皿から消えてしまうのが勿体なくて、小さく噛み切る。
ポリ、ポリ。こめかみに響く音を楽しんで、興に乗って日本酒をお願いする。日本酒と子持昆布の往復でわたしはニコニコしてしまう。いや、カウンター越しに見ればニヤニヤかもしれない。
子持昆布をゆっくりと楽しんだあとは握りをいくつか。ちなみに握りは、炙りえんがわから始まり、その時の気分でネタを経由し、炙りえんがわで終えるのが鉄板。口の中で溶けていくような感覚と、それを重たく感じさせない塩味にハマっている。
お酒とおつまみの帳尻を合わせてお会計へ。店を出るときの「ごちそうさま」で、もう一度細胞を外側に開く。また明日からがんばれる自分を手に入れて、ようやくわたしの夜は幕を引く。