志村けんさんの死に見る母の偏り
ドリフを見たことがない私は志村けんさんの訃報に周りの友人の様にショックを受けなかった
6歳上の姉とひょうきん族を見ていたから馴染みがないとも思うが
よく見ていたカトちゃんけんちゃんごきげんテレビの内容も全く覚えていない
幼少期に毎日過ごした祖父母の家では厳しい祖父に子供番組を「くだらない」と見せて貰えず廊下の隅でいじけたり
両親再婚後、結構リベラルであった(と思われる)父とバカ殿など見ようものなら
何かと極端な母が「くっだらない」と白い目でさも憎々し気に言っていたもので
私には、志村けんは母が嫌いな見るべきでない人であった
くだらない面白さというものが当時の母の辞書には無かったのかとも思うが
風雲たけし城もスーパージョッキーの熱湯CMも母に咎められた記憶がないせいかビートたけしはずっと好きで
著作である純愛小説は立ち読み読了し買いはしないままだが
監督作品は7割観ていてキッズリターンも花火も最後のセリフはたまに思い出してはぐっとくるし、アキレスと亀は観た後何だかぐったりしてしまったけれど印象深い
浅草の捕鯨船はいつも並んでいるので行きたいが行った事がない
と、このように
親の好き嫌いの感情的表現は
子供を縛り洗脳するものなのだと
未だ見聞きする志村けんさんの死を悼む声に触れる度に思う
偉大さを感じてみたくて
元々好きなスカパラとの三味線共演CMを見たら、バチ捌きがかっこいいと思った程度であった
単に自分の元々の好みによるものかもしれないとも思うのだが
それでもやはり子供が成長する過程において環境の影響力は計り知れない
それゆえ
我が子には私の好き嫌いには関係なく、元々自らが欲するものを心のままに選んで欲しいと思うので、できるだけ自分の価値観を子供に押し付けない様に心がけているつもりだが実際どうなのかは分からない
夫からしてみたら私も良くも悪くもずいぶんと極端な人間だろう
夫婦間においても育った環境、親の性格などにより価値観は全く異なる部分は多々あるし、理解は出来るが同意はできないこと、特に育児において平行線である方向性の違いは色々な意味で多くの疑問を自分に投げかける
ちなみに夫の幼少期は
ドリフが正当な笑い、ひょうきん族はくだらないから見せないという家庭方針だったと本人が言っていた
どちらも見た事がない、全く興味のない同世代ももちろん沢山いると思うが
なんだか
周囲の反応にぽかーんとしていたここ10日であった
次女が描いた母
特徴を掴んでいて似てる