愛と恋のちがい
不思議なコーヒーフロート in東京
「愛」についての歌の中で、マカロニえんぴつの「なんでもないよ、」が好きだ。
ここのサビの詞。これはまさに、私にとって「愛」と「恋」の違いを表現した詞である。
「愛」と「恋」の違い。
「愛」は相手よがり。「恋」は自分よがり。
っていうのは、かなり前にさや香の新山さんがテレビで言ってたのを聞いて、めちゃくちゃしっくりきたから、自分の中でも長年こう定義してきた。
愛は、まず相手の幸せを願う。純粋に、相手のためになにかできないかと考えている。
恋は、自分の幸せのために行動する。表面上は相手のためでも、その裏には相手からの好感が欲しかったり自分への見返りを求めていたりする。
話を戻すが、「なんでもないよ、」のサビの詞は、この違いをまるごと表現していると思う。
会いたい、そばにいたい、守りたいっていう行動は、私にとってはかなり自分よがりな行動で、相手のためを想う気持ちよりも自分がそうしたいという気持ちの方が強く感じる。
一方で、僕より先に死なないでほしいという気持ちは、相手には長く生きていてほしいという相手を純粋に想う気持ちがあると思う。
まあ私の都合のいいように解釈しているから、全く別の解釈ももちろんあるだろうけど、そこは私が良いように解釈させてもらう。
「愛」と「恋」の違いについてもうひとつある。
愛には優先順位がある。なぜなら、愛を向ける相手はひとりとは限らないから。
今現在の優先順位では、自分が一番上にいる。自分をとにかく一番大事にしているから、自分の幸せのために生きている。
一方で、恋には優先順位がない。ポリアモリーの人は恋にも優先順位があるのかもしれないが、私は一度に一人の人しか恋をしないから優先順位はない。
前のnoteに書いたが、私は今恋をしている。そしてそれは、愛のない恋である。
つまり、完全に自分よがりな想いでしかない。言ってしまえば、相手の幸せなど願っているわけでもないし、相手に対しての行動はすべて自分のためでしかない。
「なんでもないよ、」も全く共感できないし、自分都合のことしか考えられない。
よくよく考えたら、自分以上に愛を向けられる相手が今後現れるのか、可能性はだいぶ低い気がする。
今恋をしている相手にも、結局愛は向かないだろうと思う。