関係が深くなると恋愛感情を抱かなくなる【フレイロマンティック】
サイゼ、白ぶどう。
最近よく周りの友だちが「anone,でセクシュアリティ分析したよー」って報告をしてくれる。
そんな中、何人かに見受けられる「デミロマンティック」について、まさかそんなに多いとは思っていなかったのでちょっと考えていた。
デミロマンティックは、「強い信頼関係の相手に恋愛感情を抱く」とあるけど、なんか違和感というか、私は絶対にこれではないなとなんとなく思っていた。
経験上、恋愛感情を抱くのに信頼の強さは全く気にしていなかったから。もちろん人として最低限の信頼は必要だけど、本当はどういう人なのかとか、その人の本質がよくわかっていない状態でも好きになったことは何度もある。
というか、むしろ相手の本質を勝手に想像して、その期待込みで相手を好きになるような気がする。
ふと振り返ると、私が過去に好きになったことのある人は、ただのクラスメイトとか部活の先輩とかある程度互いに距離があるような関係性の人ばかりだと気づいた。
そして今週の月曜日、よく一緒にジェンダーの話をする友人とサイゼに行った時、ふと「私デミロマンティックの反対な気がするんだよね」と言ってみた。
本当に何気なく言ったし、その時はまさかデミロマンティックの反対のセクシュアリティがあるとも思っていなかった。
けどその友人がネット検索してくれて、「フレイロマンティック」というセクシュアリティを知った。
プラトニックラブ・ズッキーニを知った時振りの幸福感を覚えた。「これだ!!」とはっきりとわかった。
過去を振り返ってみて「私フレイロマンティックだな」と思うエピソードとして、好きな人に対してあまり深入りしないということがある。
まず、好きになってその人に積極的に喋りかけることはあまりない。多少自分を認識してもらいたいとかはあるけど、対人間として関係を築きたいとは思わない気がする。とにかくその人のことを考えたり、こういう人なのかなとか想像して好きだと思う。
稀に、同じコミュニティに属している人とかだとそのうち友だちとして仲良くなることはある。よくしゃべるようになったり遊ぶようになったりとか。それはそれでもちろん嬉しい。好きな人に認識してもらえて、友だちとしてでも自分に好感を持ってもらっているわけだし、毎日が幸せになる。
けどそうすると、だんだんとその人の本質が見えてくる。人間としての性格とか行動パターンとか。そういうものを含め、もっと好きになることもある。けどその時にはもう恋愛感情はなくなっている。
ここで、「蛙化現象じゃん!」って思う人がいると思う。確かに、相手にいろいろ期待して、いざ本質が見えた時には好きじゃなくなる、って一見蛙化現象だなって思う。
だけど、フレイロマンティックと一般的に言われている蛙化現象は、なんか違う気がする。
1つ目の理由は、フレイロマンティックは努力してもどうにかなるものじゃないから。世間で言われる蛙化現象の原因は自己肯定感の低さとか相手に期待しすぎとかで、それを改善すれば克服できるらしいけど、フレイロマンティックは性質だから克服するとかはない。
ただ「現象」という意味では、フレイロマンティックの人が起こすものも「蛙化現象」と言えるのだろうと思う。
2つ目の理由は、蛙化現象を起こしても相手のことは「人間として」好きなままであるということ。決して相手に幻滅して耐えられないとかそういうことはない。ただ恋愛感情だった好きが、人間として好きに変わっただけである。
だから、世間一般で言われている「蛙化現象」と一緒にされると少し嫌かもしれない。
フレイロマンティックであると自認して、もう1つ気がついたことがある。
私はこれまで、好きだと思った人とお付き合いをした経験があるが、どちらも恋人としてはうまくいかなかったと思っている。
もちろんセクシュアリティ以外にもいろいろ理由はあったかもしれないが、1番は、私がだんだんと恋愛感情ではなく人間としての好きにシフトチェンジしてしまっていたのが全ての原因なのではないかと思った。
というのも、好きな人とお付き合いをしても、(私がアセクシャルであるということもあるが)手を繋ぐとかキスをするとか、ロマンチックな雰囲気になるとか、そういうのが全く要らないと思う。
そして、周りの友だちよりも恋人を優先するという感覚も湧かない。友だちも恋人も関係なく、ただ人間として好きだし、なんかもう恋人も友だちみたいな感覚で接することが増えてしまう。
これまで付き合った人は、そんな私を「サバサバしてる」とかって思っていた(たぶん)一方で、恋人なりにいろいろ期待していたと思う。
それに全く応えられないことに、すごく悩んだ。別に私はなにも恋人らしいことをしたくないし、しなくても一緒に過ごすだけで十分だと思う。だけど、相手はそれ以上を望んでいて、付き合っている以上それを裏切ることは申し訳ないと思った。
結局、「恋人」という関係でいることに苦痛を感じるようになって、この人とは「友だち」になりたいなと思ってお別れする。
フレイロマンティックを自認した今、冷静に当時の気持ちを分析できるが、当時はすごくすごく悩んだ。
私は人と恋愛することに向いていないと思って、二度と誰のことも好きになりたくないと思っていた。
けど、それもそれでとても窮屈だと思ったし、人を恋愛的に好きになることがもうないのかもと思ったら、私はすごく悲しいと思っていた。
だから、フレイロマンティックを知って、自分の恋愛観に肯定的になれて、すごく人生が明るくなった。
これから、人を好きになることもあるだろうし、もしその人と仲良くなって恋愛感情がなくなっても、別に私が悪いわけじゃない。そういう性質だからって思える。
フレイロマンティックを知れて、本当に良かったと心から思う。