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「東京心覚」感想①~それは希望の物語

いよいよ週末には「江水散花雪」が開演……!
その前に自分の内側でくすぶっている情緒を昇華しておかねば、という訳で「東京心覚」の感想を吐き出しておきます。

(何故最初に見たパライソの感想じゃないのかと言うと、配信も円盤も無くてまだ自分の中で咀嚼が出来てないから。はよ、はよ配信下さい!)

「東京心覚」は、「静かの海のパライソ」から刀ミュ履修した私にとっては二作品目の作品であり、沼落ちする決定打だった作品でもあります。
パライソでは作品に込められたメッセージの濃厚さにやられ、この心覚では演出含めた総合的なクオリティの高さにやられました。
もちろん、作品に込められたメッセージにもすごく心を打たれて、動画作品苦手なくせに、未だに繰り返し視聴しちゃう刀ミュの中で1・2を争うお気に入り作品です。

一度は生で見たいです。再演、再演をなにとぞ……!

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ええと最初にお断りしておきます。
私は歴史にも文学にも超!弱い、無学な人です。刀の来歴とか一生懸命覚えようとしてるんですが、知識が上書き消去されちゃうので、歴史だの来歴だのを踏まえた考察とかできません。他の方の感想とかTwitter見てると教養あるほど深く作品を楽しめるのは痛感してるんですが、無理っぽい。
ですのでこれはあくまでも読書好き、物語好きの一人として、私が受け取った想いをひたすら文字にするnoteだとお断りしておきます。
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終わる事は絶望ばかりではない。その過程でこそ花が咲き歌は生まれるのだ。

心覚では何度も「放棄された東京らしい世界」が描かれていて、すべてが終わり虚無になったその時間軸の延長線の物語のように見えます。

けれど視聴中に私が受け取り続けたのは「希望」でした。たとえ全てが滅んだとしても、そこにあるのは絶望ばかりではないのだよ、という熱い想いでした。

変な話と思われるかもしれませんが、例えあの本丸の世界線の行きつく先が「放棄された世界」であったとしても、それは絶望ではないんですよ。
絶望では無いんです。終わる事、忘れられる事、捨てられる事、それは決して絶望では無いんです。絶望は全てを諦めてしまう事、なんです。


例え虚無と言う終点へ行きつく歴史だとしても、その途中で人は生きていた。
大切な人を守りたいと、大切なものを大切にしたいと、想いに突き動かされて生きた。その行動は形として残らないかもしれない。誰からも記憶されず、物としての形も残らず、「歴史」という視点から切り抜いたら全く評価されず、無意味で無価値に見えたとしても、そこに想いは在ったんです。
それこそが希望であり、世界の豊かさ、美しさなんです。


[ 死んで何も残せない、誰の記憶からも消えてしまう。それは本当に絶望だろうか。そうなった命は無意味で無価値だろうか。]

違う。一つの命が生まれて生きた、そのこと自体が奇跡であり豊かさそのものなんだ。
歴史と言う記録に残る事、誰かに覚えていてもらう事、それはその命の奇跡の前では些細な事なんだ。生まれた、存在した。たくさんの想いを抱え、その想いのために、例えば惚れた女のために、大切な友のために、できる精いっぱいの行動をして生きぬいた。それこそが命の意味じゃないのか。


豊前が、水心子が、ソハヤたちが見たように、そこに命は確かにあって、溢れた想いは歌になって紡がれたんです。道が引かれて、城が築かれた。街が生まれてそして消えていった。その「営み」こそが生きる事の価値。
未来永劫残る実を残す事が命が存在する価値じゃない。その一瞬の刹那で、「想いという花を咲かす事」こそが命の素晴らしさなんです。

─── だから、世界の形が変わってしまいそうなことに絶望するのではなく、何も実を残せずに終わってしまう事におびえるのではなく、自分と言う命の花を、想いの花を咲かせようよ。自分が何を大切にしたいのか、何を守りたいのかをひたすら自分の心に問うて、その想いを生きようよ。

見ている最中、ずっとずっとそんなメッセージが心に響いていました。
これが私の受け取った心覚の物語。

私は私の先に咲く花を見る事はできないけれど、今この瞬間の「私の想いという花」を大切に咲かせようと、見るたびに心を励まされるんです。好き。

*

心覚はあの頃の時代と切り離しては語れない物語だろうとも思います。
あの頃、抗いがたい力によって世界は変えられた。街から人が消え、人と人の関り、国と国の関りが断たれて、世界がその在り方をすっかり変えてしまうような絶望に覆われていた。
けれどその絶望の中、YouTubeから流れてくる歌や音楽が救いだったこととすごく重なるんですよ。

どんなに苦しくても、世界の行く手が見えずに絶望に閉ざされていても、人は歌を歌い、音楽を奏でる。
その美しさに何度も何度も救われました。イタリアのバイオリニストの演奏とか、上白石萌音ちゃんの瑠璃色の地球とか、ステイホームの状態であってもあの頃、沢山の音楽が産み出され放たれた。あれらの音楽は、歌は、希望以外の何物でもなかった。


やっぱりね「結果」「結末」に希望は無いと思うんですよ。物語が常に「過程」を語るもので在るのと同じように。結果ばかりを見ている時、人は今ここにある命の事を忘れている。命が過程であることを忘れている。

子供を愛しいと思うのは、結果を出してくれるからじゃないでしょ。一緒に過ごすその時間で生まれる、喜怒哀楽の感情が愛おしさでしょう。


その喜怒哀楽の感情が、心覚の中では花や歌に託されていた。
想いは相手に伝わらず、実を結ばないかもしれない。でも、そこにいた人の心に愛おしさが生まれた事、愛おしさに従って行動した事実は変わらない。山吹の花のように実を結ばなくても、花は咲いた。それを私だけは知っている。それで良い。

これはね、私が人生折り返し地点を過ぎたからこその感想でもあるかと思います。多分、見る人の心の状態によって、あるいは見るタイミングによって、感動するポイントも生まれる問いも全然変わるんだろうと思います。


そんな風に様々な角度から問いを残す物語こそが、優れた物語なのだと私は思うので、やっぱり心覚は凄い。好き(語彙が消失)

線を引く事、それは悪ではないのだよ。

 花を咲かせる事、終わりへ向かう中の希望。その他にもう一つ心に響いたのは「線を引く」事の意味でした。

 水心子が劇中何度も口にした「線を引く」という行為。

村雲江はこの線を引く事を嫌っていましたけど、それは彼の未熟さの現れというか自分の物語をまだ生きる事が出来ていない事の表れなんだと、私は解釈しました。(だから一層、村雲がいとおしいんですけどね!)

誤解されがちですが、「線を引く」というのは悪い事ではないんです。
むしろ「自分の人生を生きる」ためには必須であったりします。

愛する事は、線を引く事なんです。何もかも全部受け入れて認めて飲み込む事じゃないんですよ。
若いうちは全肯定=愛だと誤解しがちですが、愛はきっちり線を引きます。なぜなら、線を引かなければ他者との関係は成立しないから。

関係とは他者が存在して初めて生まれます。そして私たちは他者を通してしか自己を認識できません。これは「人」という存在だけでなく「物」「世界」も同じ。触覚も味覚も視覚も「私ではない存在」があるから発生するんです。そして「私ではない存在」があるから「私という存在」が認識できるんです。誰かを愛する事も、私ではない他者が存在するから可能なんです。


何かを大切にするという事は、大切にしないものがあるという事。愛するという事は、愛さない事と表裏一体。
「すべての戦いは「愛」という名前で世界に線を引く事から始まっている」
これは私の高校時代の恩師が、結婚式の祝辞で言った言葉なんですが(笑) 全くもって真理だと今更ながら思います。

争いが嫌なら愛さなければいい。何も選ばなければいい。
自分の命さえも愛さなければいい。そうすれば争いに巻き込まれることなく生きていける。だけどそれは本当の強さなんだろうか、魂の幸せなんだろうかって。

人は生きてる限り線を引き続ける。
大切な国を守るために線を引きました。大切な家族を守るために、線を引きました。国の内にこもり、家にこもり、他者との交流を最小限にして、一番大切なものを守ろうとした時代がありました。いいやこの線を引く事、線の内側と外側を区別する事は、人類が存在し続ける限り終わらない。

それを分断と見るのか、それとも愛だと見るのか。

愛だとそう思えるのなら、線の向こう側の人も守っているのだと、命や存在に区別をつける痛みがあるのだと想像できるんです。そこに希望があるんです。隣人と折り合いをつける在り方への道があるんです。

私は線を引く。そうか、あなたもあなたのために線をひくのか。
私とあなたは線で隔てられているが、それぞれの線の内側にあるのは同じ想いなのか。

そう思えた時に、線の始点と終点が繋がり世界が円環の連なりになる。
 私の終わりと、あなたの始まりが繋がる。分かり合えなくてもこの世界で隣り合う事ができるならそれで良いと祈れる。命が流れの一滴になる。

だから、線を引く事を恐れるな
大切なものと大切でないもの、大切な人と大切さが劣る人を分ける事を恐れるな。それを悪だと断じて目をつぶってしまうな。愛するという行為の痛みから目をそらすな。


というメッセージを私は受け取りました(超個人的な感想ですよ)
ホントに心覚は存在への全肯定というか、人の命の営みへの愛に溢れてて、美しいお話です。ホント好きなんです(何度目)

まだまだ咀嚼不足なので、もうちょっと記事は続けます。
それぞれのキャラとかも描かれ方が好きすぎて時々死にそうだよ。

初見&未整理のまま放ったTwitterはこちら!


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