「氷河期世代の男性の物語」の引用RT・元記事を読んで
先日、以下のツイートが議論を巻き起こした。
このツイート(以下:当該ツイート)の元記事はこちら(ちばつかさ「37歳、年収900万円の非モテ男性「アラフォー女性しか寄ってこず、20代は手応えがない。青春に未練がある」という嘆き」.キャリコネニュース,2019.10.17)である。私がこの記事を書く約2年前の記事である。なぜ上のツイートがこの記事を取り上げたのか理由は定かではない(自分が確認した限り、ツイートした意図はわからなかった)のでここでは議論しない。
さて、当該ツイートがなぜ議論を巻き起こしたのか。当該ツイートに貼られていた、年収が多いが出会いに恵まれず悲観する男性の記事に対する批判的な意見が寄せられたからだ。その引用リツイートの大半は「それだけ金があるなら自分に金を掛ければ?」だ。おまけに記事に掲げられていた「学歴」を馬鹿にしている人間もいた。学歴を馬鹿にした人間、お前さんがツイートしているその機器が知恵を結集させてできたモノだということを知らんのか。
ちなみに当該ツイートを見た僕の感想としては、「金があっても自分を磨くという発想に行きつかないのだろう」だ。推測だが、引用リツイートをした人の大半は、この発想をせずにツイートしたのだろう。
以下に、この記事がそもそもなんであるのか、また当該記事への指摘に対する私の所感を、記事に掲載されていた男性の特徴から述べていく。
そもそもこの記事とは
そもそも元記事は、記事の筆者であるちばつかさ氏(以下:ちば氏)の主観ではなく、ちば氏がキャリコネニュースに寄せられた投書に対して意見を述べた記事である。(投書された内容について議論したかったのかもしれないが、それにしても出典くらい書くべきであろう。)当該ツイートで引用されている部分は、冒頭の投書された部分である。
同記事で、ちば氏は投書した男性に向けて、「イケメンが必ずしも幸せだとは限らないし、裕福だから幸せだとも限らない」「必死に得たものを"武器"にしたがるけど、興味がない人間にとっては無意味」「70歳になろうが「いまが青春!」と本人が決めればその時が青春」と述べている。要はまだいくらでもやりようがあるから、諦めたり悲観したりするのはまだ早い、と激励しているのである。当該ツイートに数多く寄せられた、引用リツイートに近い形の意見をこの記事の筆者は持っているのである。
ただ、私にはどうにも、ちば氏に賛同できかねる部分があった。投書した男性は自身の身の上まできちんと語っているにも関わらず、ちば氏は当人の心情に寄り添うことなく、見当違いな主観を語っているからだ。
疑問に思った箇所
まず、投書した男性について語る。投書した「男性は「容姿が悪く実家が貧乏だった」」と語っているが、「持ち前のハングリー精神で地方国公立でトップの成績で卒業。しかし就職氷河期で大手企業は軒並み不採用となり、"低年収"の中堅企業に入」ったと語っている。
第三者が書いたものをさらに第三者が評価することはいささかおかしいと思うが、ちば氏の文章から読み取れる、投書した男性の持つディスアドバンテージ(不利な点)は以下である。
・「容姿が悪い」
・「実家が貧乏」
・大学卒業時に運悪く就職氷河期
・「"低年収"の中堅企業」にしか入社できなかった
・「ずっと勉強していたので全く遊んで」いなかったうえ、アプローチした相手には相手にされなかった
・仕事で無理をし入院を余儀なくされ、33歳まで不自由な暮らし
逆に、男性の(自認している)アドバンテージは以下になる。
・「持ち前のハングリー精神」
・「地方国立大学をトップの成績で卒業」
すなわち、男性が自認している自身の利点は、「可能性があるなら諦めない姿勢」「地頭のよさ」だけである。反対に、男性が自認している欠点は上に挙げたように利点を凌ぐ多さである。さらに、この男性が就職活動時には就職氷河期に突入したということから、男性の親(または男性の幼少期)はバブル期を生きてきたことが推測できる。しかし、「実家は貧乏」ということで、容姿とともに周囲とのギャップを感じながら生きてきたのではないだろうか。
また、男性は「男女でバーベキューや花火に行ってみたかった。男女でワイワイ飲み会をしてみたかった。」と「青春や恋愛に未練」を感じているという。恐らくそれは、実家が太くなく、また時期も悪かったことからそうした行事に参加する機会が失われており、さらに勉学にいそしんでいたとのことで余計にその機会を失っていたのであろう。
さて、ちば氏含めこの投書に対する指摘に話を戻す。先ほども述べたように、ちば氏は男性に対し「容姿がよくても裕福でも幸せとは限らない」「武器にすべきものが違う」「時すでに遅しなんてことはない」と述べている。冒頭で紹介した当該ツイートを引用したRTでも、特に「武器にすべきもの」について述べられている。が、私はこれらの指摘のうち、ちば氏の「武器にすべきもの」以外の指摘と、「武器にすべきもの」に対する引用RTでの指摘に対して、疑問を感じている。
次に、どのように疑問に感じたか、所感を述べることとする。
男性に対する指摘に関する反論
・「イケメンが必ずしも幸せだとは限らないし、裕福だから幸せだとも限らない」
まず、「イケメンが必ずしも幸せだとは限らないし、裕福だから幸せだとも限らない」について反論する。
文中でちば氏は男性のコメントを引用して、「「今の日本は平均以上裕福な家庭に平均以上の容姿で産まれることが何よりも大切」という一文で思いっきり日本中に敵を作っていないでしょうか?」としている。だが、この「日本中」の「敵」がいったい誰なのかは明示されていない。男性のこの意見が、いったい誰を敵に回したというのだろうか。「平均以上裕福な家庭」かつ「平均以上の容姿」という条件を満たしていない人間、ということだろうか。むしろこの指摘こそが、「金にも容姿にも恵まれなかった人」を敵に回しているのではないだろうか。
また、同文中でちば氏は「イケメンであることが幸福ではない事例」「裕福だから幸せでない事例」を挙げていない。その時点で議論としては失敗している。確かに、容姿がよくて誘拐されることがあった、裕福で温室育ちなため詐欺に遭ってしまったなど、欠点を考えることはできる。
だが、そうした欠点を凌駕しうる利点がある。容姿がよければ容姿を貶される機会は無く、(性格によほどの問題がなければ)意中のパートナーを手に入れることだって容易、多少問題があっても「まあいいか」で済まされることもあろう。多少身だしなみを整えなくても、「味がある」として評価されうる。
また裕福であれば、努力せずとも学費の高い適当な大学や専門学校に入学し生きる術を身に着けることもできただろうし、そもそも男性は地方国立大学に入学するほどの頭脳はあったのだから、もしかしたら塾や予備校に通って更に男性の能力に磨きをかけることができたかもしれないし、その中で新たに生まれる交流だってあっただろう。身だしなみに気を遣う余裕だって生まれたことだろう。一般的な人が求める「最低限のライン」も考えることができただろう。その両方に恵まれなかった(と述べている)男性が、「努力したって報われ」ないと無力感を抱くのも無理はない。このような利点を差し置いて、「容姿がよくても裕福でも幸せだとは限らない」は早計であろう。
ただ、現(といっても2年前)に男性は裕福なのである。男性は大手企業に就職し、年収900万円を手にするまでになった。しかし、運悪く就職氷河期で中堅企業に就職せざるを得なかった男性が、「勉強も仕事もずっと頑張ってい」た当時は「全く評価してくれなかった」女性たちが、「手のひらを返して」来たというのだ。当該ツイートの引用RTでも指摘されていたが、まさしく金目当てで彼女らは男性に迫ってきたため、男性は参ってしまったのである。
なんという皮肉か、「裕福だから幸せだとも限らない」の部分を肯定する資料が男性自身になってしまったのである。だが、筋は通っているとはいえ傷口に塩を塗り込む行為であり、決して男性に対する正しい主張とは言えない。
・「70歳になろうが「いまが青春!」と本人が決めればその時が青春」
次に、「70歳になろうが「いまが青春!」と本人が決めればその時が青春」という部分についてだ。この主張そのものについては否定はしない。寧ろ、機会は(資源があれば:ここ重要)無限に生み出すことができるため、肯定すべき言葉である。
しかし、今男性が投書した内容には「過去にできなかったことに未練がある」とある。過去、そうしなかった(少なくとも大学時代は男性の家は裕福ではなく、また就職後も振られ続けたとのことで、「できなかった」とするのが妥当であろうか)ことを嘆いているのである。この場合、失った機会に対して一言発するのが妥当であろう。
しかし、ちば氏のコメント全文にはそのような言葉が一切見当たらない。それどころか、「モテたかったらまず自分を磨こう!そしたら誰のせいにもせず前に進める!」とこの章の文頭に書いてある。さらに磨き方については特に何も書いていない。投書をしたのは男性であり、当該記事の筆者もまた男性(顔写真より判断)なのであるから、曖昧な根性論で尻を叩くよりも先に、まずは簡単にできる身だしなみなど、簡単なアドバイスから記すのが適切だったのではだろうか。
・引用RTに対して
最後に、当該のツイートに対して引用RTで批判しまくっていた方々に対して、同じ女性という立場から物申したい。
まず、容姿を磨けという意見が多数見受けられた。確かに、肌が荒れ髪がぼさぼさで体型が悪く、安物の服を身に着ける女性を魅力的に感じる男性は少ないだろう。だから、我々女性は毎日洗顔後にケアをし、人によってはマッサージをし、定期的にジムや美容院に通い、服はそれなりのブランドのものを季節ごと購入する。反対に、女性視点でも、無精ひげが生え眉毛が整っておらず安物の服や人を選ぶ服を身に着け体型のよくない男性を、魅力的に感じることは少ない。
だが、一つ見落としてはいけないのは、この男性の「実家は貧乏」なことだ。どのくらい貧乏であったかは読み取れないが、少なくともお金がないということは身体に気を遣う機会が他人より減ってしまう。髭や体毛は安物のカミソリで、洗髪や風呂は数日に一度、衣類は安物やリサイクルショップで、散髪は美容院ではなく近所の床屋で……どの程度の貧乏さだったかが明記されていないので推測の域を出ないが、おそらくこの中のいくつかは本人の中で「常識」となってしまい、習慣化され、それが本人にとって「世の男性の当たり前」として考えてしまっている、あるいはご自身が容姿をとても気にされていること、氷河期や体調不良等で自由に動けなかった時期があるから、自分が整えてもどうせ無駄だ、と考えている節があるのではないか。
この視点を欠いた、あるいはこの点を見て見ぬふりするようなコメントが散見され残念である。レディのすべき美しい反論とは言えないだろう。
次に、「学歴を誇ってるやつに碌な奴はおらん」風な意見について。画像にある範囲で十分理解できるが、逆に男性には学歴以外誇れる部分がない。学歴しか武器がなかったのだ。
恐らくであるが、これはちば氏の文章を借りれば「鎧をかためて自分を隠している」状態を指しているものと考えられる。要は自分自身を磨かず、また自分を押し出す材料を間違えている(と、その後の文章で推察した)のだ。学歴だけにこだわらず、自分磨きに奔走せよとのちば氏の意見に賛同する者は多いだろう。私もこの意見には賛成する。
ただ、上述したように「自分磨き」という発想にすら至らなかったであろう、容姿でも(おそらく昔から)いい評価を得られなかった男性に対し、攻撃的な態度で批判するのはお門違いである。ついでに言えば、男性は学歴を笠に着ている(無自覚にそのような態度をとっているかもしれないが)わけでもない(むしろ地方国立に入ったのは、私立に入学するお金がなかった、奨学金を得られる家庭でもなかったからではないかと推測もできる)のに、「学歴を誇っている碌でもない人間」は見当違いも甚だしい。教養の感じられない暴論である。
最後に。当該記事の男性は言い訳ばかりだと憤慨する貴女に。
容姿に自信がない。あるいは誰かにずっと貶され続ける毎日。容姿を理由に交際を断られる日々。いくら磨いたって石ころはしょせんただの石ころ、誰かの目に留まるようなものにはなれない。
お金がない。だけど進学はしたかったから、地頭の良さも生かして頑張って国立大学に入学。勉強が楽しいからずっと勉強。だけど就職は氷河期にぶち当たり、望んでいない低収入の企業に就職。低収入を理由に交際は断られ続け、やがて体調を壊して入院を余儀なくされる。晴れて復帰できた頃には30過ぎ。運よく高収入の大企業に転職できたものの、今度は金目当ての女しか寄ってこない。
こんな無力感に襲われたことはありますか?または、想像できますか?
してもしょうがない、共感してどうするの?意味ないじゃん。できてもそんなつらい思いするわけないじゃん。そんなの心が弱い人がする被害妄想。あたしには関係ない。
そんな貴女には、「明日は我が身」という言葉を送っておこう。自分の想像力の無さをどうか恥じてほしい。
おわりに
ここまで一通り、件のツイートに対する反応、および元記事に対して意見を述べた。私がここでこうして大声をあげたところで、男性の現状が変わっていくわけではない。
しかし、明らかに男性の視点を欠いた厳しい指摘が多く、また元記事でも(同じ男性だというのに)見当違いなアドバイスとも呼べない意見が述べられており、看過できなかった。
汚い独り言をたらたらと、他人を巻き込む形で書いてしまったことはお詫びしたい。しかし、貴女方の望む「最低限」に、どれくらいの金額が必要なのか、どれくらい時間とメンタルが必要なのか、少しは考えていただきたい。
夢中になって書いていたら非常に長くなってしまったので、筆をおくことにする。お目汚し失礼いたしました。
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ちばつかさ「37歳、年収900万円の非モテ男性「アラフォー女性しか寄ってこず、20代は手応えがない。青春に未練がある」という嘆き」.キャリコネニュース,2019.10.17.
悲しすぎる氷河期世代の男性の物語-いく夫.2021.07.13
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ぱくたそ様