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障害者雇用の「障害」

はじめに

抑うつ状態(適応障害)で手帳を取得したのですが、障がい者雇用での就活において留意すべきこと、よかったこと悪かったことなど、当事者の経験談を聞きたいです

 こんなことを呟いたのが2021年10月26日。現在2022年5月24日。内定どころか一次面接通過すらまだない。
 「資格ほぼ無しインターンどころのメンタルではなかったがとりあえず食い扶持だけは稼ぎたい」。そんな心が弱い、愛想笑いや気の利いた返事すらできない、甘ったれただけの人間がどこに受かるというのか。

 それよりも出費を抑える方向で考えないとどう考えても人生詰む。休学してまで精神を落ち着け、就活をしたが結果はご覧の通り、である。だから、とりあえず卒業だけしようと思う。理解ある職場などというものが現れることは期待しない。

 さて、こんな頭の弱いクズの自己紹介はともかく、本題に入りたい。
 世の中には障害者雇用というものがある。僕は自閉スペクトラム症(以下:ASD)と適応障害があり、特にASDについては学校で配慮を受けていたこともあったので、「障害者」として雇ってもらおうと考えていた。

 ちなみに、障害を抱えていても、障害をオープンにしてきちんと障害者であることを明示して就活する選択肢と、クローズにして障害者であることを隠して就活する選択肢の両方がある。僕は最初両方検討していたが、とある就活合同面接会の相談コーナーのおっちゃんに「君、耳栓必要ならクローズはやめたほうがいいよ」と言われたのと、クローズだと上司がクズだった場合が怖かったのでオープンのみに切り替えた。耳栓は生来ある聴覚過敏(カルテを見てわかったが、僕は小さいころから音に敏感だったらしい)の影響で、大きな物音や声がする場所、音が密集する場所ならば必須だ。上司に関しては、適応障害発症のきっかけが卒研の教授のパワハラだったからである。状態が悪化して誰とも話せなくなったら元も子もない。
 だから、選択肢が狭まることを覚悟のうえ、オープンにして就活をすることにした。

ではなぜこんな記事を書いたか?

 障害者雇用。文字通り、障害者を雇用すること。世の中には障害者雇用率制度なるものが存在するらしく、厚生労働省曰く、

従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。

障害者雇用促進法43条第1項 より

ということらしい。

 というわけで、障害者を積極的に雇おうと、エージェントなどを通じて雇いたい障害者を探そうとしてくれる、ありがたい企業がたくさんある。残念ながら、その大多数が大手企業かその特例子会社、あってベンチャーなどなのだが。

 だけど、僕は思う。就職活動への配慮がどう考えても足りない

 どう考えても20社弱しか受けていなくて、しかも面接通過率驚異の0%を誇る人間が書く記事ではないと思われるかもしれない。しかし、就活を経験していて、「え、なんで?」と驚かされたことは少なくない。

「精神障害や発達障害だろうと、仕事量や内容の調節は絶対にいたしません!健常者と同量の仕事をこなせる方を募集しています!」

 こんな言葉を聞いたらどう思うだろうか。ストイックな人を求めている、と思うだろうか。ちなみに名前は伏せるが、これを言っていたのは精神障害者を多く雇っているという、とある大手企業である。

 面接に関しては、必要な配慮を聞き出す、今の病状について訊き出す、等配慮をしたい姿勢を感じるものであった。
 自分の面接の反省点としては、

  • 売り出せる能力がない(学部時代に習得したプログラミングくらいだろうか。あとは「ものは言いよう」と必死に他サイトを見て勉強しまくったが……)

  • 物をなんでも正直に言ってしまうところが災いし、明らかに悪印象を与える発言をしてしまう(「多くの人の視線を取り入れる」ことを売りにしたときのきっかけのエピソードが「空気が読めない発言をする」だったので……)

  • 予想外の質問に対してうまく返せない

  • そもそも「障害を抱えていても雇ってくれる、配慮してくれる」が優先順位第一位のため、企業研究、志望動機がどうしても薄くなってしまう

といったところだと思う。この辺は自分ではどうすることもできないし、「内定がほしい」「食い扶持がほしい」だけでは雇いたくないのも、自分が採用担当だったらなんとなくわかる。もっといえば通過率0%なのでうまいことは言えない。なので面接に関しては言及しない
 というか上記のような惨状だ。言葉のキャッチボールどころかバレーボール(体育の成績10段階中3)をしている。文句が言えるわけがない。

 長々と自分語りをしてしまったが、面接以外の場面ではとにかく配慮に欠ける部分があると痛切に感じる。特に、「障害を抱えている人を雇う」という場面において、企業の「それでも普通の人がいい」という意思が透けて見えてしょうがない。また、障害に対する想像力があまりにも欠如していて、本当に障害を抱えた人に寄り添いたいのか?と疑問視したくなることがある。健常者って「空気が読めること」が売りなのではなかったんかい?

 面接や説明会で、「身体は障害者でも心まで障害者になるな!」という謎コラを思い出す。そうして、じわじわ実感していくのだ。心が障害者の僕たちはいらないのだと。
 発達持ちのみならず、想定外の事態にはなぜか健常者もめっぽう弱い。でも、想定外の事態は「なかったこと」にできる。「あってはならない」ことにできる。健常者、普通の家庭で普通に育ち普通の生活を得られた特権階級ならではこその発想であろう。

 以下につらつらとリンクを書き連ねていく。不便に思った点、これは差別に当たらないか?と思った点、いろいろまとめてある。何事もなく生きてこられてなんとなく就職活動に成功し、なんとなく人事担当をしている健常者にヘイトをさんざん吐くような僕であるが、一応僕にだって人間としての視点や感情はある。
 興味があれば読んでほしい。

リンク集~障害者雇用を経験して感じた問題点~


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