「価値観の違い」が、いっしょにいる理由になるかもと思った話。
わたしと、わたしの夫は性格も考え方も似ていない。
夫は超が付くほどのポジティブ人間だ。考えるよりもまずやってみるタイプ。あまり落ち込んだりしないし、落ち込んだとしても1日あれば次の日にはパキッと立ち直り、しかもなぜかより元気になっていたりする。
わたしはネガティブな方ではないけれど、感情の処理には時間がかかると自負しているし、決断のときはいろんな選択肢を並べて考えたい。
付き合っているときも、結婚を考えたときも、この性格の違いを気にしなかったといえば嘘になる。だってよく聞く離婚理由のひとつは、「価値観の違い」だ。
だけど、もしかしてこれっていっしょにいる理由になるかも、と思う出来事が最近あった。
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7月に予定していた披露宴の延期が決まったあと、わたしはしばらく落ち込んでいた。しょうがないとはわかりつつ、ここまで準備してきたのにな―、と悔しい気持ちもあった。
だけど夫は落ち込んでいないだろう、という変な自信があった。「ま、中止になるわけじゃないし」くらいの気持ちでいることが電話でも伝わっていたから、こんなときくらい一緒に落ち込んでくれよ、と正直不満に思った(まだ同居を開始していないので、会うこともできないまま2ヶ月の外出自粛が明け、先週やっと会うことができた)。
そんな自信と不満は、違った方向で裏切られた。
「披露宴延期になったからさ、もっと良いムービー作れるよ。写真もいっぱい撮ろうよ」
久しぶりに会った時、落ち込むどころか無邪気に笑いながらそう言い、新調したGoProをわたしに向ける彼を見て、あきれを通り越して笑ってしまった。
ただ「悪いこと」を「ネガティブに捉えない」だけでなく、「より良いこと」に変えてしまう。わたしにはない、その発想がとても好きだなと思った。
そして、そんな彼に心底救われた。
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そりゃあ、育ってきた環境のまったく違うふたりが一緒に暮らして、家族になるのだ。お金のこと、生活環境のこと、食べ物の好みのこと。「違い」を感じる瞬間はそこら中にころがっているだろう。
でもその「違い」が与えてくれるよろこびややすらぎだって、きっとある。それがいっしょにいる理由になることも。
二人暮らしがはじまっても、そのことを忘れないでいたいな。
おわり。
Day.17