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メサイア

「皆様が望むことを行うことは、わたしの幸せですから」

彼は、世界スポーツ界の選手だ。5年に一度の世界スポーツ大会(昔はオリンピアとか呼ばれたらしい)で連続3回優勝している。

今から20年前、彼の故郷は大噴火の災害にあい、海まで流れ込んだ溶岩で、小さな町は、町ごと消失した。まるでポンペイのように。

彼はまだ10歳たらずだった。たまたま他地方に出かけていて、家族も無事だった。しかし、生まれた町の消失、その近隣の地域も被災したその衝撃、喪失感は彼の心に大きな傷となった。

彼は新スポーツ競技の旗手として期待され、十代で世界スポーツ大会に参加すると、いきなり優勝した。その時、被災した人々、そして国中が歓喜した。
彼が失われた町の、国の、英雄となった瞬間だった。

彼は人々の希望となったのだ。
そして、それを裏切らないための彼の戦いは、年を追うごとに激しくなった。スポーツにありがちの怪我、大会直前まで入院していることもあった。それでも彼は期待を裏切らなかった。
世界中が彼を称賛した。

満身創痍。

「満身創痍ですよね」
私はそう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
ジャーナリストとして彼を長く追っている私には、何年も前から彼が自分を傷付けていくのが辛く感じていた。

「もともとは好きで始めたこと。好きだから大変なことがあっても、続けられるんですよね」
私は言葉を変えて彼に問いかけた。
彼は少し首をかしげ、けげんな顔をした。
「いえ、自分がそうではなく、期待してくれる皆様のために成功させたいのです」

彼は今、その新スポーツ競技の、新しい技に挑戦している。
幻の技「メサイア」

「でも、その新技も自分がやりたいから、ですよね」
彼は首を振る
「喜んでくださる方がいるから、挑戦するんです」

何か引っかかる。いや、もう何年も前から、引っかかっていた。
それは、それは
「そんなに満身創痍になってまで‥‥それは、メサイアコンプレックスでは‥・・・」

彼の顔が歪んだ。私はハッとして、言葉を変えようともう一度彼を見た。

なんだ、彼が歪んで見える。彼も、彼の周りの空間もすべて歪んで。
ぐらりと地面がひっくり返り、私は立てなくなった。
地べたに這いつくばり手を伸ばす。
彼の‥・・・彼の足が、シューズが見える。

私の伸ばした手など見えないかのように、すたすたと彼が去って行く。
いや、足元だけが消えてゆくさまが見えた。

私は、言ってはいけない言葉を口にしてしまったのか。
彼はすでに、メサイア(救世主)そのものだったのか。

何も無い何も見えない空間で動けない私には、もう知ることはできなくなった。

(メサイアコンプレックスまたはメシアコンプレックス、
救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である)

メサイア


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かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね

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