
エンドレスヒールⅡ-3.11 #16あさみの場合
T北福祉大学には初めて来たわけではなかった。
自然食品をメインとしたレストランがオープンして学食として使われている、一般の客も入れる、と聞いて、その店のオープン当初、何人かの友達とランチを食べに来たことがあった。
またS県では福祉大学は一つしかないので、同級生でもこの大学に進学した者もあり、ママ友でもこの大学を卒業した者もいた。
しかし、福祉の仕事はやはり大変なのだろう。
同級生でもママ友でも、せっかく保育士や養護教員等の資格を取得したにもかかわらず、実習で挫折して、その職業に就かなかった者が多かった。
施設実習に行って、その職に就かなかった者がほとんど口をそろえて言うこと。
「私は、この子(この人)達に何もできない。何もしてやれない。」
そして、涙を流すのだ。
それは、同級生もママ友も、同じだった。
しかし、ママ友にやはりこの福祉大学を出て、障害者施設に勤めながら子育てをしている者とも出逢った。
性格がキツク、はっきり物を言い、きっちり割り切るその姿に、仕事して割り切れない人間には勤まらない仕事なのだと感じた。
また、浅海自身も つい相手の気持ちに入ってしまい、相手のストレスを自分のものにしてしまう傾向があり、この性格では仕事としては心が壊れてしまうかもしれない、と考えざるを得なかった。
だから、浅海が望んでいたことは、本当は「子供から手が離れたらボランティアをしたい」ということで、仕事として自分が携われるとは思いもよらなかった。
それが変わったのは、たまたまオペレーターとして就職して、障害者の方の仕事のサポートをしてからだった。
浅海は、「これは人生の最後に、神様がくれたプレゼント」だと思った。
正直、心を離すのには苦労した。
浅海の性格上、ついつい過剰に心配してしまったり、相手の身になってしまいがちだった。
しかし、あくまで仕事。
仕事と割り切らなければ、100人近くいる利用者さん 一人一人の気持ちを全部背負いこんだら、仕事としては続けられない。
偶然 得た オペレーターでありながらサポーターという仕事。
この仕事のおかげで、心を離すこと、きちんと割り切ること。
そして、仕事として精一杯 支援していくこと。
後にヘルパーの学校で習う 自立支援ということを、最初に実践で学ばせてもらった。
2011年6月16日(木)
続く
エンドレスヒールⅡ-3.11 #16あさみの場合
かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね
次回 エンドレスヒールⅡ #17はこちらから
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前回 エンドレスヒールⅡ #15は こちらから
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②エンドレスヒールⅡ あさみの場合 最初からはこちらから
https://note.com/mizukiasuka/n/n799a32079029
①エンドレスヒールⅠ 和美の場合 を最初から、まとめて読めるマガジンは、こちらから
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