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エンドレスヒール#29 -3.11

3月11日(金)(被災当日 夜)
6時には日が暮れて真っ暗になる。
電気が無いということは、こんなにも暗かったのか。
夫も両親も消息がわからない、独りの私。

ロウソクを一本、結婚式のキャンドルサービスの時のロウソク一本の灯り。
和美はノートを開いた。
この震災を書き残さなければいけない。

まだ、宮城県しか地震が無かったと信じ込んでいた和美は、今、思うこと、この身に起こったことを書き始めた。

ノートより

「私は今、ロウソクの灯りのもと、外は雪だというのに、ひとり暗闇の中で 暖も無く、寒さに震えながら書いている。
まるきり、外歩きの服装で。

家の電話も携帯も通じないので、仙台の中心部に住む両親も、中心部に仕事に出かけた夫も消息不明だ。
公衆電話まで行ったが、通じなかった。

私は9日、仕事だった。施設に勤める私は、地震に揺れながら、
「どうやって利用者さんを助けよう」
と、考えていたら おさまった。

今日は、たまたま仕事が休みだったが、施設や利用者さんはどうなったのだろう。
明日、出勤予定だが、電話も通じない今、明日になって明るくならないと、どうしようもない。

今日(また 余震・・・)夫は 帰るのだろうか。
待つしかない。
地震は出かけようとした時・・・」


「ただいま」
夫の声だ。
書きかけのノートを中断し、立ち上がった。
「歩いて帰って来たの?」

宮城沖地震、日本海中部地震の経験から、電気まで止まるのであれば、公共機関であるバス・地下鉄が動いているはずがないことは、わかっていた。

「車。会社の車で帰ってきた。震度7の栗原の現場にいたんだ。」
時計は午後七時半を回っていた。

続く
2011年4月15日(金)

エンドレスヒール#29 -3.11


かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね

次回 エンドレスヒール#30 へ続く
https://note.com/mizukiasuka/n/n6783c8c19264

前回 エンドレスヒール#28 はこちらから
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