エンドレスヒール#32 -3.11
3月7日(月)(地震発生の週の始め)
朝、いつもより早く出る。
車で30分かかる職場に向かう。
自分の出勤時間より27分早く、タイムカードを押す。
職員の方たちはデイの送迎で、まだ帰ってきていない。
まだ三十代前半の施設長だけ、朝の準備をしているのか、電化製品等を点検していた。
「おはようございます。」
和美は、ひと息 呼吸した。
「あの・・・昼休み5分か10分で良いので、お話ししたいのでお時間いただけないでしょうか?」
「・・・・今、時間、あるけど。」
施設長は顔をあげて和美を見ると、立ち上がって応接室の扉を開いた。
テーブル・ソファがあるが、利用者さんも休み時間等に使う部屋だ。
向かい合って座ると、和美は結論から話しだした。
「お世話になって申し訳ありませんが、3月31日の契約満了をもって、退職させて下さい。」
施設長は黙ったまま、和美の次の言葉を待つ。
「実は・・・」
和美は、3月1日から本日3月7日に至る、病気の経緯を話した。
職場には「肺炎」としか言っていなかった。
肺結核の疑いがあり、ツベルクリンをして確かめたことなどは、初めて話す内容だった。
「正直、肺結核かもしれない。と思った時、死を覚悟しました。
今でも日本人の死因のベストテンに入る死病です。
それに感染症なので、電話して仕事をやめて、手紙などで退職手続きをすることまで考えました。」
「・・・確かに結核は、職員でも利用者でも、発症すれば来ることは出来ないが・・。大丈夫だったんでしょ?」
「はい。ツベルクリンが、3ミリ以下だったので、陰性で、肺炎だけでした。でも。」
白血球が1月から一万を超えて減っていないこと。
肺炎は良くなったが、今度は肝臓の数値が上がっていること。
胃カメラ・腸カメラ・膵臓・白血病等、問題無いが、何故白血球が多いのか、未だにわからないこと。
そして。
「夫に、命をかけてまでする仕事か、と言われた時、迷いました。でも、その後母に、私の母親に相談したんです。」
決してほめない母が、半年で仕事辞めることなど、決して認めないはずの母が。
「見送らせないでくれ、と言われた時、もう、続けられないと思いました。」
和美の頬は濡れていた。
母の言葉に対してか、やりたかった仕事を辞めざるを得ないことに対してか。
「私は、ここで素晴らしい三人のヘルパーさんに出逢いました。失敗ばかりで落ち込むこともありましたが、いつも支えていただきました。」
「たくさん教えてもらい、たくさん助けてもらい、行事でもわからないで失敗すると、失敗は失敗として、私が立ち上がれるように、必ず声をかけてくださいました。」
「『打ち勝つんだよ』『頑張ってね』『気にすること無いよ』『入ったばかりなのに、よくやってるじゃないの』数えればキリが無いくらい、本当に支えていただきました。」
「福祉の本質、自立支援という言葉。これを実践している姿に、いつも感心し、一つ一つが教科書とは違う実践の、本物の福祉の姿を見せていただきました。」
「感謝しても、感謝しきれません。」
施設長は、和美の話を一通り聞き終わると、最後にポツンと言った。
「体のことだから、こちらとしては引きとめるわけにはいかないけれど、もし、気が変わったら・・。
いや、こちらも、その時に希望に添えるかわからないが、気持ちが変わったら、相談してもらいたい。」
続く
2011年4月18日(月)
エンドレスヒール#32 -3.11
かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね
次回 エンドレスヒール#33 へ続く
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