エンドレスヒール#27 -3.11
1978年6月12日 宮城沖地震(後に宮城の震災の日となる)
当時 高校生だった和美は、学校の教室にいた。
たまたま部活が休みで、普段なら部室にいる所だが、その時はクラスメイト四人で教室で話をしていた。
夕方 五時を回った。
「そろそろ帰ろうか。」
一人が言いかけた時だ。
突然 教室が揺れ始めた。
和美たちのいる教室は二階。
「和美、ここ押さえて!」
一人が和美に声をかけたので、和美はその友達と二人で書棚を押さえて立っていた。
後で聞くと、「開いたら片づけるのがめんどうだ」と思ったそうだが、本当はそんな場合じゃ無かった。
しばらく 強い揺れが続いたあと、少しおさまると、電気は消えていた。
四人で話していたのに、二人がいない。
まわりを見回すと、一人が申し訳なさそうに入り口に立っている。
「教室を飛び出し、階段から逃げようと思ったが、階段の揺れがひどく、うごけなかった。」と言う。
そして・・・・
「助けて~~!!!」
と 叫び声が聞こえた。
最後の一人だ。
よく見ると、教室中の机が動いて、後ろにきっちり詰まっているように流れている。
横揺れが酷く、机が全て動いたのだ。
声は、机の下から聞こえて来た。
あまりに たくさんの机が一斉に動いたので、机の下に隠れた友人は、机ごと教室の隅に追いやられ、さらに他の机があるため、出られなくなったのだ。
これが小学校ならどうだろう。
おそらく、体が小さいので机の下でも出て来れたかもしれない。
しかし、職場などの袖机付きの机だったら?
大人は完全に逃げ場を失い、閉じ込められるだろう。
和美たちは、机を一つひとつ動かして、友達を救出した。
その後、家に歩いて一時間半ほどかかって歩いた。
電気・水・ガスが止まり、電話も通じないため、家族と連絡取れず、さらにバス・電車も動いていないので、歩いて帰る意外、方法が無かった。
しかして、当時アパート暮らしだった家はあった、
妹と母が、散乱した家の中を片付けていた。
和美は帰ってすぐ、近くの食料品店に行ったが、何も売ってなくて「あましょく(お菓子・パンケーキの三角形のもの)」を買ってきた。
その日、父とは連絡取れず、妹と母と三人で、まんじりともせず夜を過ごした。
ジャージを着て、すぐ逃げられるようにして。
その時の経験が、「決してテーブルの下には逃げない」、という、地震の常識を認めないという、今の和美の考え方を作った。
未来永劫、誰が何と言おうと、宮城沖地震で経験した机の下の怖さを、和美は忘れない。
続く
2011年4月13日(水)
エンドレスヒール#27 -3.11
※上記の「机の下」に関しては、有識者の方々などには批判されそうですね。
しかし、実際に体験した恐怖を、忘れられるはずがありません。
かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね
次回 エンドレスヒール#28 へ続く
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