道端でミミズが干からびている季節
そんな季節が近づいてまいりました。
私事ではありますが、つい先日誕生日を迎えました。ここまで生きていけていることに感謝して、覚えてくださっている皆様にも良き日々が巡る事を祈っています。
そんな誕生日が過ぎ、ふと家の近くなどを歩いているとミミズが干からびているの発見しまして。
まあミミズが干からびているのはわりかし田舎の辺りの風物詩だとは思いますが、そのミミズを見て夏の侘び寂びと哀愁を感じた次第でございます。
好きな季節は冬なんですけどね。
なんなら夏は何もしなくても汗をかくのが嫌なのであまり好きではなかったりします。
運動とかサウナとかお風呂とかでかくのは全然構わないんですけどね。意図せずかくのはなんだか嫌だなぁって気持ちになりやすいです。
わりとそんな人は多いのかなって思ってみたり。
何か発言や行動した際にも意図していない何かがあるとあるぇ?ってなるみたいに、自らの想定の範囲外のことは少し胸にしこりの残る事が往々にしてあるのかなと思います。
しこりと言えば小六ぐらいの時胸のしこりで痛い痛いになっていたことを思い出しました。
僕はうつ伏せで寝てるので寝るのも一苦労みたいな日々が続いていた記憶があります。
それから一回りも越える年齢になったんだなぁと思うと少し感慨深いですね。
まだまだ未熟者で自分勝手な人間ではありますが精進して行きたい所存です。
どうぞ、よしなに。
閑話休題。
そうは言いながらも、夏にある特有のあの雰囲気が割と好きだったりはします。
どこか自分が俯瞰にいるような、しかし主観でもあって、どこか輪郭はハッキリとしていて淡いながらも色彩が鮮やかな独特の雰囲気。
プールの後のようなそんな雰囲気が素敵でいいなぁと思います。
素敵じゃない?素敵だよね?素敵って言えよ。
……すみません。調子乗りました。押し付け良くない。ちょっとお笑いとしていいかなっておもってしまいました。
正直、前回の投稿からなかなか時間が空いたので書き方がよく分からなくなってはいます。
まあ元より駄文で散文な異聞も無いような作文未満の本文ですから、気にしたところででしょうけども。
それでもまあ、読み物として楽しんで貰えればとは思いながら一応は書いております。
とは言いつつ、僕の脳内の垂れ流し感は否めないしそのつもりで書いてはいるのでどうなんでしょうね。
それは神のみぞ知るってことにしておきましょうか。もしくは神の味噌汁で。おもんな。
失礼致しました。
とりあえず、干からびたミミズにそんなことを感じた次第なのです。
感じたというか、連想なんですが。
よくもまあそんなこと連想出来るんもんだなぁと我ながら思います。
前々から感じていたことではあるんですが、改めて思いました。
文字として書いていても思うのですが、連想して話が脱線しがちな僕なのです。
配信もしていて、よく早口なのも相まってテンポが良すぎてコメントが追いつかないと言われることがありまして。
少しだけ気をつけようと思ってみたりはするんですが、如何せんそのまま話してしまう事がままあります。
楽しくなっちゃってね仕方ないね。
閑話休題。
二度目。
夏の哀愁溢れる雰囲気って分かってくれる方があんまり居なかったりするのかなぁって思ったりするんですよね。
やっぱり楽しいこととかアッパーな事柄が多いイメージではあるんですが、そのどれにも後ろ髪引かれるような、哀愁が付きまとってる気がするんですよね。
かき氷しかり、花火しかり、こう儚さや境界線が曖昧なようなそんな事柄が付き纏っているような気がしています。
青春というものも舞台は夏なことが多いのはそういう所なのかも知れませんね。
あくまでも主観ですけども。何となくそんな気がするんですよね。
境界線は曖昧だけど、輪郭がハッキリしていて。目もくらむような鮮やかさと曖昧な淡さや、儚さがが共存するようなそんな季節。
日中は太陽が自然の鮮やかな緑や真っ白な雲、飲み込むような青空をこれでもかと言うほど眩しく照らしているじゃないですか。
でも、その眩い太陽の光が境界線を少し曖昧してくれるような。そんな気がしています。
そう思うと嫌だなと思うような夏も少しは好きになれる気がしませんでしょうか。
結局汗かくとだりぃとはなりますけどね。
わかります。
結局のところ、結論は夏は暑くてやだな、に終結するのかとは思います。
しかし、時たまそんなことを連想してみたり、思ってみたりするのも時折、乙で良いのではないでしょうか。
僕はいいと思います。
そうやって夜や季節に物思いにふけると少し心に空いた隙間が埋まる気がしています。
もし、眠れない夜などは試してみてください。
気が向けばね。
やり過ぎないように。僕みたいになりかねないよ。
では、今日はこの辺りで。