少し昔の話とともに
あれは私が小学校高学年だか中学に入りたてだかの頃。当時兄は中学だか高校だかだったと思う。如何せん記憶が曖昧である。
伸縮する指示棒が何故か家にあり、当時私のお気に入りだった。
部屋で兄と2人取り留めもなく話をしていた時、兄がその指示棒と部屋の照明の紐を例に取って特殊相対性理論の概要を始めた。
指示棒の先端を照明の紐の先端を中心にグルグルと円状に動かしながら
「仮にここ(指示棒の先端)が光速で動いているとして......」
そう言って簡単な説明をしてくれた。
そんなことをふと、思い出した。
兄はそうやって私の知らないことをよく説明してくれた。兄は説明上手で、話上手だった。
そんな兄の話を聞くのが私は好きだった。
時に、私はHUNTER × HUNTERで言うところの強化系、つまりは単純バカだったので下らない嘘話を大真面目に信じたりしたこともあったけれど。
マリーアントワネットのケーキ発言の事やギリシャ神話の事、オススメされた小説や漫画、ゲーム等、私の多少なりともある知識の根底には兄が居るのだなと、そう思い出した。
祖母の葬儀の際に、大号泣で顔面クシャクシャの兄に泣いてもええんやでと言われたことも。
そんな状態の兄に引いて涙が少し引っ込んだことも。
私の根底には兄が居る。
今回、私は兄とのことを思い出し兄を例に出したが、誰であれ大小など差異はあれどそういったことは多くあると思う。
大きなものから小さなものまで、そういった影響を受けて今を形づくる。
明日は明日の風が吹いて、また違った色を見せる。
そうやって緩やかに変化しながら生きていくのだなぁと思った。
なんてことを思って久方ぶりにnoteを書いてみた次第ですね。
前ばっか見てても疲れるから、たまには昔を懐かしんで感慨に耽けるのも一興かなと。とは私のよう言うことですが、そのあたりは変わらずだったりしますね。
変化することも良いし、しなくても良いし。
善し悪し決めるのは他人でもあるし、自分でもあるし。
折衷案をいい塩梅で決められると良さそうですね。
もし、生まれ変わりがあるのだとしたら。
私はまた兄の弟が良いなと思っています。
兄の方はどう思っているかわかりませんが。
本日はこのあたりで。
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