美園さくらの退団記者会見を見て、娘役スターのあり方について考える
劇団に公式の会見模様は出ていないが、ネットニュースなどでは退団記者会見のやり取りが見られる。
この「添い遂げ」というのは、一体いつから始まったのだろう。
別のところで考察したこともあるが、「大地真央・黒木瞳」を皮切りにしている。
このコンビはゴールデンコンビとも呼ばれたようだが、やはり黒木瞳は、あくまでも「大地真央ありき」の娘役である。
宝塚音楽学校の面接で「この子は大地真央の相手役にどうか」と感じた先生がいるとの逸話が残されている。
では、この「相手役」というのはいつ始まったのか。
我々が最近当たり前のように受け入れている「トップ娘役はトップスターより下級生」というのはいつからなのだろうか。
結論からいうと、ベルサイユのばらで活躍した人たち以後。
初演のベルサイユのばらでは、オスカル・榛名由梨(49期)、アンドレ・麻生薫(52期)、フェルゼン・大滝子(49期)という主要キャスト(ただしアンドレが主要だったかは微妙)に対して、マリーアントワネット・初風諄(47期)である。そもそも、初風諄は誰の相手役だったかと言われるとそもそも難しい。強いて言えば古城都であろうか。
70年代初頭までの娘役は「娘役スター」であった。決してトップスターの添え物ではなかった。
いつからか「相手役」が当たり前となり、今の主流は「トップと同時退団」である。昔はそこまで見なかった添い遂げ退団が、昨今では主流である。
歴史は移り変わっていくものだし、宝塚のトップスターのあり方も変わっていくのだろう。でも「自立した娘役スター」がいてもいいのではとも思う。
3歩下がってトップスターに付き従うという、なんだか歴史に逆行している寄り添い方である。
昔は新人公演だけではなく、友の会公演など、いろいろな配役を見る機会があったが、現在のタカラジェンヌは劇場も増え過密スケジュールで大変で、「ゆとり」や「遊び」が欠けてきているのであろう。
宝塚歌劇団の歴史も動けば、社会も動く。仕方のない話なんだけど。
ふと、昔のスターたちが懐かしくなる。真帆しぶきの訃報を聞いたこともあるだろうか。
また、古いレコードでも聞いてみるか。
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