ハイドンの家♪
ロスラー先生のレッスン後…
「ハイドンの家」へ…♪
交響曲の父と呼ばれる
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (FranzJosephHaydn,1732年- 1809年 ) は
北オーストリアのローラウで
車大工の父と城の料理人の母の長男として生まれました🇦🇹
幼い頃から歌が上手で
8歳のとき宮廷楽長ロイターにその才能を見出され
ウィーンのシュテファン大聖堂付属の聖歌隊に入隊しました♪
この聖歌隊は後にシューベルトも入っており
「ウィーン少年合唱団」はその流れを汲んでいるそうです♪
17歳で変声期を迎えたハイドンは聖歌隊を辞めることになり
ウィーンで音楽家として活動を始めます♪
25歳でボヘミアのモルツィン伯爵の小さなオーケストラの楽団長に就任し
28歳でマリア・アンナとシュテファン大聖堂で結婚式をあげます✨
29歳の時にハンガリーの大貴族であるエスターハーズィ家の副宮廷音楽団長に就任し…
5年後には宮廷音楽団長として作曲や演奏活動など活躍の場を広げて行きます🇭🇺
58歳の時に楽団が解散されてからはウィーンを拠点に活動を始め…🇦🇹
イギリス旅行中の61歳でこのウィーンの家を購入し…
2階を増築し65歳で住み始め(1797年)
77歳でこの世を去りました…(1809年)
ハイドンが晩年を過ごした「ハイドンの家」は1899年にウィーン市の博物館として公開されました♪
ウィーンの歴史的建築物には紅白の 旗が4本立てられW (ウィーンの頭文字)を型取っているそうです🇦🇹
白い2階建ての建物の中央に入口があります
中に入ってみます…
一階は…
ハイドンの時代のこの地域や2回のイギリスへの演奏旅行の事柄や
1792年にフランツ皇帝の誕生日に初演された
「皇帝讃歌」の資料が展示されています🇦🇹
「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」(Gott erhalte Franz den Kaiser)とも呼ばれるこの曲の美しい旋律は弦楽4重奏第77番の第2楽章にも用いられ👑
オーストリア帝国の国歌となりましたが🇦🇹
オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後…
現在はドイツ国歌となっています🇩🇪
誰もが一度は耳にしたことがあるこの曲…
その美しい旋律は…
歴史の荒波に呑み込まれしまうことなく
今も人々に歌い継がれていることに
深い感銘を受けました…
階段を上がり2階へ…
わぁ✨
ハイドンの使っていたチェンバロや楽譜
作曲に使われた鉛筆、家具などがたくさん展示されています…
金色のプレートが美しいブラウンのチェンバロ♪
ハイドンが実際に弾いていたのだと思うと
心が躍ります✨
この家で作曲されたハイドンの代表的なオラトリオ「天地創造」や「四季」の遺筆譜もあります♪
全65曲のピアノソナタをはじめ104の交響曲・68の弦楽四重奏曲など数々の作曲をし
「交響曲の父」
「弦楽四重奏の父」と呼ばれたハイドン…
当時ヨーロッパでは最も尊敬された作曲家としてモーツァルトやベートーベンにも大きな影響を与え
古典派音楽を確立した偉大な音楽家である一方で…
壁に飾られたベートーベン・フンメル・クラーマーなどのたくさんの肖像画からは
パパ・ハイドンとして数々の音楽家や貴族が訪ねて来たハイドンの穏やかで親しみやすい一面を垣間見ることができたような気がしました…💕
2階の1番奥にはパパ・ハイドンを尊敬していたブラームスの記念館が…♪
ブラームスのウィーンの住居は現存していない為
ハイドンの家に遺品が展示されているそうです…
建物の外には
ハイドンの愛した美しい中庭がありました…🍁
ハイドンの時代から約230年…
ずっと歴史を刻んできたこの場所に
ピアノを学ぶ者として訪れることができて…
本当に幸せです…✨
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