普段の行動から出る姿
私は、誰かの行動をみて何か心に刺さる瞬間があると、すぐ真似したり影響されてしまうタイプだ。たとえば一昨日あった出来事。インターン先で携わっているカフェオーナーと、一昨日は動画の撮影で残波ビーチに行ったときの話だ。
自己紹介の撮影が終わったあとだったが、そこで一瞬少し強めの風が吹いた。その時、中身がないペットボトルが転がってきたのだが、誰もが見てわかるポイ捨てのゴミだ。転がっている音を聞き、目で確認し、私は見てみぬふりをした。
私が見てみぬふりをしたあと、オーナーさんはそのポイ捨てされたペットボトル拾いに行った。オーナーさんのカフェは、環境資源とその対策にも取り組んでいるお店でもある。最近では、コーヒーの残りカスになる「コーヒーの粉」を再利用した商品開発にも力を注いでいるぐらいだ。
それら資源対策に協力している姿が、仕事だけではなく普段の行動から出ている姿が心に刺さったと同時に、自分の不甲斐なさを強く感じた。人は誰かの行動に影響されてしまうし、自分が尊敬している人、すごいと思った人にはとことんその人を追求してしまうのではないだろうか。
今回のオーナーさんがゴミを拾う行動には、現在カフェで取り組んでいられるゴミのリサイクルや、再利用といった取り組みと非常に繋がったものだと感じた。
ゴミを拾う=運を拾う
彼女(オーナーさん)がゴミを拾う姿を見て、なにか感化された自分がいた。普段の行動もお仕事も一貫性を持った、素敵でかっこいい人に私もなりたいと思った。
翌日、毎日行っている朝散歩でゴミに目を向けながら歩いてみた。ただゴミを拾うのではない。ゴミを拾うと、運もハッピーセットだという勝手なマインドだ。
意外と空き缶が多いことに気づいた。しかし拾ったのはいいが、空き缶を捨てられるゴミ箱がなかなか見つからない。普段の散歩では拾ったゴミを持って、ゴミ箱探しなんか初めてだということにも気づいた。
ポイ捨ては絶対にしないと自分に誓っているが、ポイ捨てを拾う行動はこれから持続していきたい。ゴミを拾うのではなく運を拾いたいと考えると、たくさん拾ってしまいそうだ。しかし、それはむしろ良いことだろう。
私はこれからも、尊敬している人の行動力や考え方をいい意味で盗んでいきたい。改めてそう思えた、一昨日の19日であった。
これからも大好きなコーヒーを追求し続けるための活動費に充てさせていただきます。