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誤解を恐れる自分を発見~「書く習慣」を読んで~

勢いでアカウントを作っていったん投稿してしまったこのnote。

数年もにょもにょと悩んではいたけれど、
踏み切れずにいました。

でもなんか”タイミングだな”と感じて
noteやってみようと思ってふと読んだ本が、
買ったまま開いていなかった
「いしかわゆき」さんの著書「書く習慣」でした。

ここを読んで
私がずっとひっかかっていたことが分かりました。

自分の文章に意味づけするのは読んだ人。

いしかわゆき著「書く習慣」より

誤解、されたくなかった。
私がなにか言葉を発することで
私が思う意図じゃなく相手に届いてしまう、
それが怖くて
誤解されて苦しむくらいなら
閉じ込めてしまえ、と
何も言わないほうがいいやと、
外に出してこなかったから。
そうやって、子どもの頃からずーーーっと、生きてきたから。

私自身の言葉を取り出すのが怖かったんだな・・・。
一般的に使われる表現、
どこかで見たことのある耳慣れたフレーズ、
そんなものを駆使してきれいにまとめておけば
みんなが知っている見た目になるから
私自身の怖れる「誤解」は起きないと思って
キレイにブログを作ってきた。
分かりやすく、シンプルに。
ちょっと私の奥から言葉が出ようものなら
「・・・なんちゃって」と、ちょっと抜きながら。

そのままでも良かったのだけれど
私の中身がだんだん、外へ出たがってきました。
私自身が今まで育ってきた中で培った
価値観に気づき
親子関係に気づき
思い込みや無意識の期待に気づき
心理学の中で言う「メタ」的に自分を見たり
我が子やしごと仲間とのやりとりをする中で
「わたし」というものが見えてきてしまったから。

マトリョーシカ的に
たくさんたくさん同じような形で周りを何重にも重ねてきた入れ子を外して
だんだん中心の人形に向かうように
数年前からの気づきがだんだん「私」の中心に
近づいてきている気がします。
そうしたら、色々出て来たがっている気がして、
ここのnoteというのを使ってみようと今日に至りました。

・・・話が本からすっかり逸れました。
とにかく、
出したものを相手に理解してほしいという「期待」を手放して、
「書く習慣」の本のおかげで
読み手側に委ねるしかないことに気が付き
じゃぁそういう構えでいけば
書けるかもしれないな、と思った昨日でした。

「誤解」を極端に恐れるという私のパーソナリティなど
自己紹介は追々書いていきます。

ひとまず、書く。
書いたら、読み手に委ねる。
そして、続ける。
そこを心にとめて、明日もnoteをひらきます。

では、また明日あなたにお会いできると嬉しいです。
おやすみなさい。

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