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忘れていた日常 お茶の時間
実家にいた頃、お茶の時間というのがあった。
いや、何も珍しいものではないと思うのだが、実家から離れて十数年、あの時間の存在を忘れていた。
それはきっと、日常だったから。
私の父は植木をいじるのが好きで、実家には庭があり、名前も知らない草木が生い茂っていた。
一応お伝えしておくと、青い芝生が広がり、きれいな形に整えらえた樹木が生え、子どもや犬が走り回っている・・・ような庭ではない。
父にとってのこだわりがあったのだろうが、私から見れば無造作に植えられた木の集まりで、幼い子どもにとっては探検できる山のような庭だった。
週末になると、父はいつも植木の手入れをして、午前中は10時、午後は3時に必ずお茶を飲む。
そのくらいの時間になると、作業を止め、休憩しにやってくるのだ。たまに区切りが付かないのか時間を忘れているのか、来ない時には私が呼びに行った。
うちに縁側というものはないが、居間の窓と網戸を全部開け、父はそこに腰掛ける。
そして母が急須からお茶を入れ、お茶菓子を出す。父が好きな落花生や柿の種、おせんべい。
この時間にすることは当然のように決まっていて、母がしていることを見て、私は「そういうものなんだ」と学んでいた。
母がいない時。
お茶を入れるのは私の役目になる。
思春期の娘にとって、父と2人っきりの空間は何ともいえないが、それでも私は父を呼びに行き、お茶を入れ、母が買っておくお茶菓子を、これで良いのかなあと思いながら置いた。
父はだいたい「おお、ありがとう」と言って、お茶をすすり、お茶菓子を食べる。
特に話すこともないけれど、なんとなくその場所にいた方が良い気がして、テレビを付けて、ただ黙ってそこにいる。
お茶がなくなっていそうであれば、「お茶飲む?」と声をかける。
そしてそのうち、「よしっ、やるかっ」と言って、また植木の手入れを再開する。
近くに住む叔母が来る時も同じだった。
叔母は、うちの裏側からやってきて、窓越しに手を振る。野菜とか、叔母の家で作ったおかずとかをもってきてくれる。
私は叔母が作るきんぴらが大好きだ。
母が作るきんぴらは甘いが、叔母のきんぴらは鷹の爪が入っていて辛い。
母のも好きだったが、叔母のきんぴらの方が好きだった。
そして、窓と網戸を開け、そこに叔母が座り、お茶を入れてお茶菓子を出す。
だいたい父が一緒に座って、母は近くにいて、たわいもない話をする。
お茶の時間は、庭から部屋へと空気が通り抜け、穏やかな時間が流れていた。
後から気付くが、よく、部屋の中に虫が入り込んでいた。
お茶って、日常にあるものなんだなと。
先日行ったお茶屋さんでお茶をいただいている時に、こんな情景を思い出した。
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ちょっとした椅子に腰かけて休憩する、そんな場所