子供を怒っちゃいけない。それ、本当?
子供の自己肯定感を上げるためには、怒っちゃいけない。
まずは子供の気持ちを受け止めて、寄り添って、導いてあげなくちゃいけない。
‥‥これ、ゆとり教育というものが始まった頃から広まったのかな?
割と良く聞く子育て理論ですよね。
でも、それを守ろうとして、
お母さんである自分自身の気持ちを封じ込めて、心がすり減ったように感じている人とか、
怒る代わりにアイメッセージをとか、寄り添って声掛けをとか、そんなハウツーを試してはみるけど、子供の状態が変わる訳でもないし、もやもやストレスが溜まっていくように感じている人とか、
結構いるんじゃないのかな。
まあこれ、私自身がそうだったって事なんですけどね。
怒っちゃいけないと思うあまり、娘にどう接したらよいかわからなくて、綺麗な言葉で娘をコントロールしようとして、寄り添うというよりご機嫌を伺う。迎合する子育てになってしまって。
自分でもその状態が不健全だと感じてはいるのだけど、どうしたら良いのかが分からない。
そんな状態で何年も過ごしてきました。
だけどね、今の私は思うんです。
怒ったっていい。
時には感情的に怒鳴りつけたっていい。
ちゃんと話を聞いてあげられない時があってもいい。
だってお母さんだって、人間だもの。
子供と言うのは、親の振る舞いを見ているというよりは、
親が世界をどう見ているのか、その世界に向かう姿勢の方を感じ取っているんじゃないのかなって思っています。
私がその「怒らない育児」に縛られていたころ、
娘は自分の気持ちをいつも飲み込んで、何か聞かれても答えられない、参観日でもお友達の輪に入っていけない、そんなどこかおどおどした子供でした。
あれは、あの頃の私が他人とか世界を怖がっていた、そのままを映していたんだなって今になって分かったんです。
ノートを書くようになって、気づいたこと。
私は世界を怖がっていて、自分が不幸だと思っていた。
不幸な私が娘を育てたら、同じように不幸になっちゃう。そう信じていた。
怒って育てたら、私みたいに自己肯定感の低い人間になっちゃう。
私みたいに自己肯定感が低い人間になったら、誰からも愛されないし不幸な人生を歩んじゃう。
だから、怒っちゃいけない。
だから、否定しちゃいけない。
娘を私みたいにしちゃいけない。
怒っちゃいけないと思うたびに私は苦しくなっていました。
そりゃそうです。
その度に「今の自分」を否定しているんですから。
そんな風に「私は不幸です」「それは親に怒られたからです」って立場で世界に接している親の姿を見て、子供が世界に安心できるはずもないんですよね。
親が出来るのは「世界は安心できる場所だよ」って伝える事。
それは子供のいう事を否定しないとか、感情を一旦受け止めてあげるとか、そういうハウツーで出来る事ではなくて、
お母さん自身が、世界を信頼している姿を見せる事。
泣きたいときは泣いて、
怒りたいときは怒って、
失敗したら存分にへこんで、
子供みたいに無邪気に笑う。
怒りすぎちゃったら恥ずかしそうにあやまって、
時には拗ねてみたりして、
それでも大丈夫な姿を見せてあげる事、なんじゃないのかな。
とはいえ、そう簡単に世界への見方が変えられるわけではない事も、私自分の体験から十分承知しています。
だからそこは、少しずつ。
まずは、お母さんが自分自身の抑え込んでいる感情に寄り添う所から。
怒りたくなる気持ちも、怒ったらいけないと思う気持ちも、子供を心配する気持ちも、他の親子が羨ましいと思う気持ちも、全部認めてあげる。
そうかそうか、そう感じているんだね私、そう寄り添ってあげる。
自分だけは、誰が何と言おうと、自分の気持ちを否定しない。
それだけで、世界に対する安心感が増してきます。
おすすめは、やっぱりノートに書きだす事。
私の本音を大事にして伝えなきゃ!って周りの人にぶつけると、案の定大けがをします(笑)これ体験済みです。
ノートに書いてあげると、自分が怖いと思っていることがだんだんと見えてきます。それと同時に、どれだけ自分が、子供を幸せにしてあげたいと思っているのかも見えてくるんです。
その子供の幸せを思う気持ち、子供を自分みたいに不幸にしちゃいけないって思う怖さ、その根っこにある愛に気づけた時、世界が大丈夫な場所になってきます。
だから、結論としては「ノートしようよ」(笑)
ノートして、自分に聞いてみようよ。
「子供に怒っちゃいけない、それ、本当?」
「子供に怒ると、どんな事が起こると思っている?」
「自己肯定感が低いと、どんな人生になっちゃう?」
大切だからこそ、幻の信念で守ろうとしている。
その事に気づけますように。