予定調和な世界
“異様”な空間だ、というのが正直な感想である。わたしにはその異様さがまだ怖い。初めてのカフェゼミが終わった。とても疲れた。初対面のひとと話すのは割と得意な方だと自分のことは捉えていたのだが、なんというかそれも労力がいることなのだと悟った。
今回のテーマは『カフェ空間の特徴と魅力』というもの。じつに“カフェゼミ”だ。私自身はカフェ、は大学に入ってから行くようになった場所である。そもそも高校時代は近くに気軽に入れるようなカフェが無かったので行くという発想があまり無かったのだが、こちらに来て驚いた。いたるところにカフェが存在する。というか、こんなにカフェって必要なのかなと思うくらいに近接している。大学1年のころ、その新鮮さに市ヶ谷と飯田橋にあるカフェはほぼ全て制覇したのだが、場所によって同じチェーン店でもだいぶ雰囲気は異なる。飯田橋の方が市ヶ谷よりガヤガヤしていて、社会人と同じくらい学生が多い。新しくカフェドクリエが市ヶ谷東にできたのだが、ここの店舗は程よく駅から離れているため今は混雑しておらず真新しくて過ごしやすい。
さて私が今回一番書きたい事なのであるが、実は私は飯田橋のドトールで働いていたことがある。飯田橋にはドトールだけで三件あるのだが、入って知ったのは勤務先の店舗はその三つのお店の中でもずば抜けて売り上げの高い店であったということだ。平日は平均600人が訪れると聞いた。つまり、めちゃくちゃ忙しく回転の良いお店だったのだ。
ドトールでは全てのことがマニュアル化されている。挨拶、言葉のかけ方からコーヒーは氷の量からグラム単位で決まっており、サンドイッチ系のソースなどもグラム指定がある。店員は細かい分量を覚え、それに従って仕込みもしなければならない。つまり、“余計なこと”“非効率なこと”は徹底的に省かれ客の回転を良くすることにより利益の出る仕組みになっているのだ。また、急いでいる人も多いのでとにかく提供までの時間を短くすることを叩き込まれる。お客様がメニューを注文した瞬間、グラスを手に取り氷を一すくいで適量入れてコーヒーを注ぐ。お金を支払い終わった時には商品ができているという感覚だ。それをいかに状況を見ながら、例えば三品頼んだお客様に最短で提供するにはどれから作るべきかが問われる。それができる人が優秀な人であり、求められる人なのだ。
すべてが『予定調和』な世界だと感じていた。だが、それが当たり前だとも思っていた。だから今回の話はそもそもの私のカフェという概念を根底から崩すものであった。メニューに無いものを提供するなどありえない、という話も実際に出たことがある。なぜなら不公平だからだ。そしてそれを提供する材料があったとしても、その材料は用途があらかじめ絶対に決まっているのだ。ドトールには『かぼちゃのタルト』という商品があるが、それにはクリームはついていない。なぜなら、そういうものだから。
今回カフェという場所・空間を、いや、そもそも『場所』についての意義を私は初めて考えた。どうして私がカフェのバイトをやめたのかというと、もちろん理由は一つではないが、お客さんにコーヒーを提供して居心地よく過ごしてもらう空間づくりにイマイチ自分は参加しきれていないなと思ったからである。本当のことを言えば、もっとお客様と交流をしたかったのだ。でも、ドトールに店員と交流しに来るお客様なんてほぼいない。なぜなら、そういうものだから。
残念ながら日本はとても予定調和な国だと思う。空間があると、人々はそこで決まった行動を取る。私にはそれが悪いことだとは思えない。だってそう行動することって簡単だしなんだかんだ心地良いから。でも、もしかしたらそこから少し離れると少し楽しいのかもしれない。私はそれをすることがちょっと怖い。やっぱり怖いことばかりなのだ、ほんとは。
これからのカフェゼミで“本当は怖かったこと”を少しずつ挑戦していけたらいいなと思う。乗り越える、とかそういうのはガラじゃないのでとりあえず体験してみることにする。実験感覚。これからのゼミが楽しみなのは間違いない。
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