人生のキリトリ線
私の家族は以前も書いた通り、ふるさとである宮崎県にいる。正確に言えば一個下の弟は今年から大学生になったため、福岡県に住んでいる。“家族と離れて暮らすこと”もっと言えば“家族”のこと。それが今回のカフェゼミのテーマだ。
今回は市ヶ谷のDNPプラザでカフェゼミが開催された。前々からその前を通っては『東京アニメセンター』と書いてあるのを見ていたため、果たして何の場所なのかとても気になっていた。ついに入ることとなり、なるほどこういう場所なのかと変に納得したのだった。
また今回は『赤字プラン』を自分たちでやってみようということになったのだが、正直この点に関しては不満だった。今まで“参加費”としてお金を集められることには不満は無かったが、今回参加費は無いとはいえ他の人に振る舞うためにお菓子を自分たちで買ってくるというのはどうなのかと思っていた。元来、西日本の人間というのはケチなのだ(これは半分冗談である)。その上一人暮らしでかなり生活費などを節約しながらつつましく暮らしているのに、勉強のために入った大学のゼミでお金を払うことになった。その前の週で赤字プランについてどんどん決まっていくことに関して、情けないことに特に意見も言えなかった。だがまぁ決まったものは決まったのだ。私は気をとり直して持っていくものについて考えた。手作りは家に調理器具が全てはそろっていないためなかなか難しい。どうせ買うなら面白くて美味しいものがいい。そこで私は“新宿みやざき館 KONNNE”まで走った。現状、東京で一番宮崎のものが手に入るお店だ。そこでじっくりと吟味した結果があのお菓子たちである。どうせみんな甘いものばかり持ってくるだろうな、つまらないなぁと思ったので、鳥皮の唐揚げというチョイスをした。ここだけの話、本当に“赤字”である。結果的に私が一番『赤字プラン』を楽しんでしまった。
さて話を戻してテーマの“家族”について考えてみたいと思う。上映会で見たドキュメンタリーで一番感じたのは本当に『人生のキリトリ』だったということ。どういうことかと言うと、私は自分の固定概念で、“企業によってつくられた映画”を見る気分で見ようとしていたのだ。そして一人目の方のエピソードが終わった時に『えっ?』と思った。ハッピーエンドでも、バッドエンドでもなくただエピソードがエピソードのまま淡々と終わったのだ。そして次の方の話が始まる。これも同じだった。ただ、その人の人生の一部分だけを私は垣間見たのだった。それに気づいた瞬間、これの一つの存在意義について悟った。ものすごく生々しくて、リアルで、新鮮なものに感じた。あぁ世界にこの人たちは今も私と同じように生きているのだ、と思った。
誰か他のゼミ生がブログに書いていたが、私も時々すれ違ったひとの人生について勝手に考えることがある。あの人も、私のように何かに悩んだり幸せを感じたりしながら日々を過ごしているのだろうかと想像する。人にはそれぞれの人生があってそれは全て尊くてかけがえのないものだ。どれだけ嫌いな人でもその人を大事に思っている誰かがいるし、その人自身も誰かのことを大切に思うことがあるだろう。そのなかで“家族”というものはまた特別な位置にいる。上映会のあとのセッションでも、家族についての様々な定義が出た。逃げかもしれないが、正解なんてないような気もする。あえて出すなら、その人を大切に思っていてお互いに家族だと思っていれば家族でいい。ただ、一つ、きっと家族は悪いものではない。
悪いものではない、と言えるのは私が育ってきた家庭環境が影響しているとは大いに感じる。大学に入って一人暮らしをするようになり、家族と離れて毎日過ごしている。自分の時間が精神的にも物理的にも取れるようになった中で思うのは、私はきっと大事に育てられてきたのだということだ。両親は私がやりたいことは何でもさせてくれた。否定されたことは無く、いつも認めてくれたし強制されたこともない。祖父母はどちらも近くに住んでおり、会いに行けば漫画のようにかわいがってくれた。弟と妹はどちらも年が近く友達のように過ごせた。あの一緒に暮らせた宝物の日々が、今の私を支えてくれていると強く感じる。東京に来て寂しいと感じることももちろんあった。でも、離れていても、家族は家族だ。私には、家族がいる。いつでも帰れる場所がある。それは、一緒に暮らしていたころよりも有難い事実だったりもする。『東京のみずき』と『宮崎のみずき』は、私の中では同じだけど違うのだ。だからたまに東京が嫌になって宮崎に帰ると、元気になる。そしてだんだん東京に戻りたくなる。東京に戻ってくると“帰ってきたなー”と思うし、来たばかりのころの新鮮でワクワクした気持ちに戻れるのだ。
今の時代はSNSを使ってでもなんでもすぐに連絡が取れるから、本当に良い時代だなと思う。離れていても、家族は家族。嘘じゃあない。だからきっとあのドキュメンタリーの中の5人は家族と離れて暮らしている。それは寂しいことなんかじゃなくて、きっと今の時代、悪くない家族のカタチなんだと思う。
今回のカフェゼミは本当に面白かった。世の中にはまだまだ私の知らないことがあって、知らない人がたくさん面白いこと・素敵なことをやっているのだ。それをたくさん知りたい。いつも柔軟な自分でいたい。少しまた、世界を知れたことにうれしく感じた。