信じることと今のわたし
私はとてもポジティブだと思う。絶対に自分は幸せになれると思っているし、どうにかして絶対に幸せになろうと思っているからだ。
私の育った宮崎県の小さな町は、私にとってものすごく窮屈なところだった。毎月近所の人々は地区の中の誰かの家に集まり、“神様を祀る”という名目で一緒にお酒を飲む。必ず年に一回はうちにもその役割は回ってくるのだが、これがとても大変だ。家を掃除し、10人以上の人々の料理とお酒を用意し、神棚にはそれ専用の神具を飾る。このような慣習はこれだけではない。東京の人が聞いたら『神話じゃないのか』と言われるような行事・付き合いがたくさん残り続けている。
産業は衰退しており、年々人口は減る一方。街にあった本屋はいつの間にか潰れていた。小学生のころのクラスの友達は半分以上がいわゆる“片親”という家庭で育ち、はっきり言って教育水準もとてもとても低い。
私にはそれら全てが馬鹿らしかった。地域の人にへこへこする父親や、“家にお母さんが朝にならないと帰ってこないから”という理由で私を引き留める友人を見るたびに泣きたい気持ちになった。“どうしてこんなに田舎なんだろう”といつも思っていた。テレビで見る都会がキラキラして羨ましかった。“こんな街、時期が来たらすぐにでも出てってやる”といつもこらえていた。
でも、いつだって『私は絶対幸せになる』という気持ちだけは忘れたことが無い。馬鹿らしくても、見上げるとふるさとの空はとても広くて穏やかな気持ちになった。
今まで本当にたくさんの失敗をしてきた。地元を出たくて受けた中学受験も、大学受験も第一志望には行けなかった。物事をはっきり言いすぎて、友人と大喧嘩しクラス中を巻き込んでしまった。大好きで大好きでたまらなかった恋人にある日突然こっぴどく振られた。激しく動きすぎて人前でスカートの布の部分が破れて大変になったことも、もうどうしようかって位どうにもならない気持ちになる場面が死ぬほどあった。
こんなんでまだ20年なのに、人生100年の時代あと80年どうしよう!!!
でも、今まで何とかはなってきた。『絶対幸せになる、夢をかなえる、なれるなれる、できる』こう思って生きてたら、念願の東京の大学に来ることができた。友人に恵まれサークルも楽しい。ゼミも面白そうなのに入ることができた。
あの頃、自分を信じることしか出来なかった私元気ですか。もっとずっとかっこよく生きれると思ってたんだけど、きっと私はこれからも遠回りして遠回りしてめっちゃ走ってなんとか追いつくような生き方をしていくんだと思うよ。でも、信じてたら、信じてた以上にとんでもなく新しくて面白いことがいっぱいあったよ!これからも頑張るから、まだ満足はしてないから、どうかそのままで。
さてさて、次の帰省はいつにしようかなぁ。こっち来てから、もう故郷の事大好きになっちゃった!“ふるさと”があるっていいでしょ!