【ここだけの話】「何か世の中生き辛くね?」って思った人へ
どうでもいいんですけど、年取ったなって思う時が一年前より増えてきました。
家系ラーメンにつける白米が一杯でお腹いっぱいになったり、
ブラックコーヒーがちょっと胃に来るので、カフェラテ頼んじゃったり。
見た目がリアルに27歳くらいなんで、年相応の身体になってきました。(むしろポジ)
さて、冗談はこのくらいにして社会人2年目もいよいよ終盤に差し掛かってました。一年目とは明らかに違う景色と大きな挫折を味わったので、それらを忘れぬように気まぐれにiphoneのメモ欄にポチポチ学びを書き連ねている11月最終日の22:30です。
良い意味でも悪い意味でも、人間は過去の原体験からしかアウトプットできないので、ここ数ヶ月で感じた一つ一つの原体験を主軸として書き連ねていきたいと思います。(今回こそは簡潔にまとめたつもり、たぶん3分もあれば読める。)
これを書こうとした背景を簡潔にまとめておきます。
それは自分の限界が分からず働き続けて精神を病んだり、会社が求める理想像に執着するあまり、結果身体を壊している人が周囲に多数いるからです。
既に内情を曝け出しているというある種のレールを外れた行為をしているかもしれないけど、同じことを二度繰り返さないorこれを読んでくれた誰かの役に少しでも立てればという気持ちがあるので、僕は今iPhoneの文字盤をポチポチしています。
結論から申し上げて、社内ルールや文化など、何かしらの規定(≒制限)がある中で、それとは異なる意志や感情を抱く人は、少なからず居心地の悪さを感じる。そして、時にはそういうのに縛られすぎずに、もっと自己の考えを大切に生きてもいいんだぜって話。
サラリーマンである限り、組織で生きる限り、何かしらの成果を求められる。「会社が求めることを行い、その成果として報酬を得る」これがサラリーマンの雇用形態だからです。
会社として帰属意識を持たせるために一つの行動指針やフラッグを立て、そこに全員が向かうように組織は自ずと導かれていきます。いや、もう少し丁寧に言うと、導かれる力学が無意識に働くという言葉が正確なのかもしれません。同調圧力もこの一種。
組織の決定事項やあるべき姿に素直に従い、愚直に邁進すれば、そりゃ会社が描く模範的な人物像に憑依できる可能性は高まる。ただそれを全員の絶対解と捉えていると、俯瞰的に業界・会社・キャリアを見れなくなる。誰かが作った虚像に対して「こうならなければならない」というmust思考に自ずとなってしまう。
故に、俯瞰的な視点を持ち、自分が大事にしている価値観と会社が大事にしている価値観の双方を行ったり来たりして、自己を見失わない生活・思想を心掛けていけば、目先に困難があったとしても、柔軟にしなやかに生きることができる。
抽象的な話になったので、具体例を考えていきたい。例えば遅くまで働くのが良し、大きな取引額の顧客を担当している人間が優秀。と言った風土があったとしよう。それはあくまでたった一つの物差しによる判断基準なのであって、自己が大切にする価値観と必ずしも一致しない。
僕だって思ってた、「稼いでいれば稼いでるほど偉い。」「会社の中でスポットライトを浴びてる方がカッコいい」って。
でも別にそこまで目立たなくても、自分が幸せならそれで良くない?外圧にとらわれずに自分なりの幸せを追求する生き方だってありじゃない?そう思えたのが2年目のこのタイミング。
常に最大瞬間風速を出さなくても、程よいエネルギーで細く長く生きてくのもありなんじゃない?って。
個人的な話ですが、一年目の頃はとにかく目の前のことに必死で、先輩が神様に見えて、何もかもを素直に聞き入れることが美徳だと思ってた。しかし2年目になり経験値を積んでいく中で、ある種の法則(=自分が最大限のパフォーマンスを発揮できる状態)を手探りなから感じられるようになってきた。
目先の全てが正ではない。
人それぞれ価値観は異なる。
人生は自分で決める権利がある。
そこに気づければ少しフラットに人生を見れるはず。
自分の心に問いかけてほしい。
もちろんいきなり自分の経験則だけで幸せを定義するのは正直難しい。なのでその判断軸を生み出す一つの手段として、周囲の方に相談するのは素敵なことだと思う。
つまり何が言いたいかというと、爆裂で秀でた成果を残さなくても全然生きていけるし、今目の前にあることが人生の全てじゃないし、仕事は人生を面白くするための一つの手段にしかすぎないということ。
いっぱい働くのもありだし、程よく働いて程よくゆっくりするのも、それも個々人の自由。
社会に揉まれ、息苦しさを感じている人たちへ。
過去の選択に、成功も失敗もない。
今ここから自分なりの小さな幸せを積み上げていこう。