油売って暮らそう
と思っています。
キョトン顔
ニヤリ顔
ン?顔
いろんなリアクションを見るのが楽しい。最初のリアクションはさまざまあるけれど、多くの人は詳細を話すとおもしろい。とニヤリ顔で応援してくれる。
種と土と人
秋田県南秋田郡五城目町
500年以上続く朝市が立つこの町で、油を売って暮らしてみようと思っている。
五城目町の耕作放棄地や未利用の畑を開墾して、ナタネとひまわりを栽培する。5月は菜の花畑、8月はひまわり畑を子どもたちが駆け回っている姿を想像する。あの大きな栗の木の下で菜の花畑を眺めながら、みんなでピクニックしたら気持ちいいだろうな。
それぞれ6月と8月末にみんなで採取した種を乾燥させて、搾油機で絞って食用油として販売したいな。旅しながら行商しよう。
少し先の未来には、使用後の油を回収してバイオディーゼルフューエル(BDF)化させて地域内での(もしくはもっと小規模に事業内で)エネルギー循環をつくれたらとてもいいな。
いろんな妄想をしながら、まずは貸してもらえる畑で小規模にナタネをまくところから始めてみた。
種を育てて油を絞る。
文章にするとシンプルだけれど、種と土と人と、ナタネを育てる中でいろんなものと対峙して、あたりまえが覆されていく毎日は想像していたよりもずっと刺激的でワクワクする。
もともと面倒臭がりで出不精でズボラな性格なので、共同畑であるぽこぽこファームで野菜を育てさせてもらっていた時は、収穫期を逃し、ズッキーニが生後1ヶ月の赤ちゃんほどの大きさになってしまうくらいだった。(ぽこぽこファームについてはまたどこかでnoteにしよう)
それが、ナタネの播種(種まき)をしてから、畑に行けなくても、畑の様子が気になる。さらに3日ほど経ってナタネたちが発芽してからはナタネや他の野菜が育っていくさまをみるのが、楽しくて愛おしくて。手をかけてやりたい・・!と思わせる植物って恐ろしいなと思いながらも、ニヤニヤしながらナタネを眺める。
ナタネを撒いてから、日々見える畑の景色や体験の意味づけがいっぺんに変わった。手や体を動かすことを通じて、遠い過去の記憶を思い返したり、当たり前のようでいて知らなかった様々なことに目が向く。いろんなことに疑問が湧いてきて、これなに?どうなっているの?なぜ?どうやって?を繰り返す。
たとえば、
・カブの種を発芽させてみたり(冷蔵庫入れて、外に出して。擬似的に冬と春を体験させる。)
・カブの種を植えているときに、小さいころ畑で遊んでいた記憶がふと蘇ってきたり(モンシロチョウをみたからかも。)
・オクラの真の姿に驚いたり(わたしの身長よりも大きくなるなんて。)
・小豆も種子のひとつだと教えてもらったり(小豆を植えると小豆が実る。)
農業という極めて人的な営みを通じて、植物や虫や微生物の世界を少しでも知ってみたいという欲が出てくる。種は喜怒哀楽を表現してくれないし、土は喋ってくれないし、太陽も雨も雲も土中の微生物たちとも、わたしはまだ共通のコミュニケーションツールをつくれていない。
わからない。また新しい発見をする。わからない。わからないから面白い。
これまで、人と言葉で形作られる世界で生きてきた。学びは人やテキストから得るものだと思っていた。もちろん、種まき一つでも先人たちの知恵をyoutubeやインターネットで学んでからやるのだけれど、それでも人の言葉をもたないものたちから感覚的に受け取るさまざまな学びは最高に楽しい。
わからないことだらけの毎日だ。
笑顔で油売って暮らそう
「「油売って暮らす」っておもろくない?」
わたし自身の反応はキョトンからの爆笑だった。
油売って暮らそうぜって言葉に惹かれたのは、ただただおもろいなと思ってしまったからもあるけれど、
肩の力が抜けていて、かつ心の活力が向かうままに生きている。そんな姿が想像できるからだと思う。その姿が、以前からなんだか漠然と頑張らない生き方でありたいなあ、と思っていたところにスッポリとおさまった。あーそんな生き方をつくっていきたいなあ、つくれるかもしれないな。と思わされてしまった。
・・・暮らしの豊かさと経済性を両立させる。
ザワークラウト初回で書いたように、地方田舎暮らしはユートピアではない。経済指標で語れない豊かさがあるけれど、経済的な余裕がないと疲弊していってしまう。経済圏の小さい地方田舎でお金をつくるのは正直難しいと思う。それでも、歯を食いしばりながら「頑張って油売って暮らしています」ではなくて、ヘラヘラニヤニヤ「いや〜油売って暮らしてるんですよね」と言いたいし、少し先の未来の自分は笑みを浮かべながらそう言っているような気がする。
笑顔で油売ろうと思っているので、皆さん応援よろしくお願いします。
😊