高校野球の監督を志した理由④

厳しい冬を乗り越え迎えた春。
セカンドのレギュラー選手が怪我をしたこともあり、
自分はセカンドの1番手として起用されます。

千載一遇のチャンス。
ただ3月下旬。山梨遠征の際にタイムリーエラー。
打っては3三振。散々な結果に終わります。

掴みかけた最初で最後のレギュラーのチャンス。
掴み取ることはできませんでした。

次の日からはもちろんBチームに降格。
Aチームでは新1年生が入学と同時にセカンドのレギュラーとなりました。

1年生がレギュラーなんて。3年生の自分は何しているんだ。

練習後、そんな不甲斐ない気持ちでベンチに座っているとコーチの方に声をかけられます。
全く思いもしなかったことを投げかけられます。

「申し訳ないがおまえが夏ベンチに入る可能性は0に近い。」

自分でもそんなことは自覚していました。
最近では3年生で先の短い自分が自主練習でノックを受けるのなら、Aチームの選手や1年生が受けた方がいいのではないかと思うほど気が引けていました。
ただ、実際にコーチの方から言われると自分の不甲斐なさから涙が溢れます。

「おまえが誰よりも練習しているのは指導者も仲間も後輩もみんな知っている。だから学生コーチとしてチームのためにやってくれないか?」

そう声を掛けていただきました。
物凄い葛藤が生まれます。

可能性は0に近くなってしまったが、小学生のときたてた、甲子園で活躍するという目標に向けて選手として最後までやりきるのか。

甲子園で活躍するという目標は諦めて、チームのために裏方をかってでるのか。

もちろん後者を選んだ方がいい事は自分でもわかっていました。ただ、目標を諦めきれなかったのです。
何日も悩んでいると、もう一人のコーチの方から声をかけていただきました。


「選手としてやりきるってことはただの綺麗事だぞ。」


自分の胸にものすごく刺さりました。
選手としてやるってことは何もチームの役に立てない、
小中とキャプテンをやってチームの中心だった自分でしたが高校では何の役にも立てていない。
そういったもどかしさも常に持っていました。


先ほどのコーチの言葉が決め手となり、

学生コーチとして最後の甲子園を目指すことを決めました。


そこからは朝練習や自主練習で仲間にノックを打ち、
バッティング投手を行い、
アップの指揮を取ったり、ミーティングで話したり、
仲間の相談を聞いたり、


高校に入ってやっとチームのためになれた。
学生コーチの道に進んで良かったと思う瞬間が、
何度も訪れました。
チームのためになれている。
選手ではなく学生コーチは天職だなと感じました。


学生コーチとして迎えた最後の夏、
チームは奇しくも小学生の頃憧れた、
前橋育英に惜敗し、
自分の高校野球人生は幕を閉じました。


敗戦後、沢山の仲間や後輩が
「ありがとう。」 「勝てなくてすいません。」
涙がながらにそう言ってくれて、
学生コーチをやって本当に良かったと思いました。

高校野球を終えたと同時に、
新しい目標ができました。

それが、

『高校野球の監督として甲子園の頂点に立つ』

『俺も高校生になったら甲子園に出て活躍するんだ』

小学3年生でたてた目標。
これを達成することはできませんでしたが、
指導者として、監督としてこれから先の人生も
甲子園を追いかけていきたいと思います。

高校野球を終えてもなお憧れの甲子園球場。
ベンチから見る光景を夢見て精進していきたいと思います。

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