自己紹介 〜生い立ちや経歴など〜
〜挨拶〜
はじめまして。この度、noteを始めました皮膚科医の"みずけん"と申します。
幼少期からこのあだ名で、大人になってからも呼びやすいためか、いまだにそう呼ばれています。
2024年度の皮膚科専門医試験が終わったことを機に、世の中にも正しい皮膚疾患や治療法、日常生活での皮膚のケアの知識を届けたく、始めました。
病気にならないようにすることを予防医学と言いますが、一次予防、二次予防、三次予防というように分類されてます。
上図のように一次予防における健康づくりは、まだ病気になっていない状態ですので、生活習慣や生活環境の改善、健康教育、ワクチン接種、カウンセリングなどが主となります。
二次予防は、病気や障害の重症化を未然に予防することが目的であり、健康診断などによる早期発見・早期治療となります。
三次予防になると、既に発病している病気を管理し、社会復帰できる機能を回復させることが目的となります。いわゆる病気になっている状態であり、機能回復のために治療が必要な状態です。−(マイナス)になっている状態を元の0(ゼロ)の状態に限りなくもっていく必要があり、その技術が医師に、そして患者さんの気持ちと周囲の協力なども求められます。
ただ、医師になってから思っていることとして、色々な患者さんを診察していく度に、そもそも自分の身体に興味がない人が多いです。
「一次予防だけでは、病気を予防できない」といつしか考えるようになりました。
病気自体をもっと広く認知させないといけない。それも医師の役割だと思うようになり、いつか発信していきたいという気持ちがありましたので、このnoteがその第一歩として、機能してくれればと思いました。病気を知ることを0次予防とでも名づけましょうか。読んでいる方に少しでも伝われば幸いです。
〜生い立ちと研修医時代〜
私は3人兄弟の長男として産まれました。
幼少期は自身がアトピー性皮膚炎こと含めて、身体が弱く、入院も何回もしてました。また医師である父親が点滴を行ってくれたり、ステロイドの外用を行ってくれていたようです。
家には手塚治虫の「ブラックジャック」の漫画が置いてあったので常に読んでいました。また、たまに体調の悪い時には父親のクリニックへ行き、治療を行いつつ、診察の様子を間近で見ていたためか、物心がついたときには漠然といつしか医師という職業に憧れていたんだと思います。
「ブラックジャック」の話ですが、医師免許を持たない医師が主人公の話です。高額な治療費を請求する代わりに助けると言う、傲慢な医師の設定ではありますが、腕は確かで、どんな病気も治してしまいます。
これを見た私は、父親も皮膚外科を行っていたこともあり、漠然と外科医に憧れていました。
大学を卒業し、外科系には進みたいが何科になりたいかぼんやりとしたまま、研修医がスタートしました。研修病院は外科ローテが長く、2年目はフレキシブルに選択が可能な病院を選びました。
研修医の時は、最初神経内科スタートだったため、点滴を取る機会も少なく、5月から始まった救急外来当直で、何回も失敗して悔しかった記憶があります。
1年目の7~9月までの3ヶ月間の外科が始まると、抗がん剤でボロボロになった細く脆い血管を穿刺しなければなりません。そこで鍛えられました。もちろん最初は見学や第二助手からのスタートですが、執刀医は後期研修医の先生方でした。指導医が豊富でしたので、研修医にも執刀させてくれる機会はありましたが、もちろん条件がありました。最初は虫垂炎、鼠径ヘルニアでしたが、術式・方法・リスクについて空で言えるようにならないとメスは握らせて貰えませんでした。こっそり後期研修医の先生に教えてもらって何とかメスを握らせて貰え、無事終了、患者さんも完治した時は嬉しかった記憶があります。
2年目の研修はいよいよ皮膚科と形成外科、3次救急でした。
3次救急はⅢ度熱傷、壊死性筋膜炎、フルニエ壊疽、事故による切断などなど外傷も多く経験しました。皮膚科も皮膚外科が主体の病院でしたので、粉瘤は研修医から執刀していました(今の制度だとNGかもしれません)。
皮弁術は特に皮膚が綺麗に治るので、特に感動した覚えがありました(今でも)。
父親の影響もあってか、外科もできて、老若男女を診ることができ、何より皮膚は人体最大の臓器でありながらも、未知な部分が多く、惹かれたため皮膚科になることを決意しました。
以上、簡単に生い立ち、経歴として記載させていただきました。
初めの第一歩として宜しくお願い致します。