一度崩れた精神のバランスをどのように整えるのか
前に以下のような記事を書いた。
ざっくりまとめると人の特に無意識の思考は、
鬱散(うっさん)と集注の原理で動く。
実質的、精神的問わず、また良くも悪くも人は行動するために、
必ず適量のエネルギーを必要とする。
この時、自分のエネルギーの許容量を超えて溜まったエネルギーを、
無意識的、反射的、衝動的に発散したくなるのが鬱散であり、
逆に不足した時、集めたくなるのが集注です。
例えばお腹が減る、体を動かすエネルギーが不足してきたと感じた時、
食欲という集注の傾向が表出するといった感じですね。
自覚しているか否かに関係なく人は何らかの側面において必ず、
鬱散と集注の傾向を繰り返しておりこれを止める術はない。
食べるのをやめたら死んでしまうように過ぎても足りなくても、
エネルギー量のバランスが崩れると何らかの形で、
自身の主に無意識的な欲求において不都合が生じるからです。
問題なのはこの個人としてのエネルギーの過不足による不都合の解消は、
自他との関係性において必ずしも優先されるわけではないということ。
例えば精神を良く保つための何らかのエネルギーが不足している、
あるいはあまりにも精神を揺らがせる負のエネルギーが溜まり過ぎて、
心に余裕がなく常に良くない感情に苛まれ悩まされているとする。
この時、無意識は崩れた心のバランスをきちんと保つために、
反射的に不足したエネルギーを自他から奪おうとする、
あるいは過ぎたエネルギーを自他に発散しようとする。
他人に一方的な配慮を求めるとか明らかに後に悪影響が出そうなのに、
過度に杜撰な態度で他人に接するとかは典型でしょう。
で、当然ですがそうしてエネルギーを奪おうとする相手や、
負のエネルギーをぶつけてくる相手と大抵の人は付き合いたくない。
だから人が離れていく、そうしてエネルギーの循環が滞ると、
ますます過不足のバランスが取れなくなっていく。
現代のように物質的には満たされた社会の場合どちらかと言えば、
心、精神のエネルギーのバランスは特に崩れやすくなる。
崩れたバランスをしかし循環が滞ってるため鬱散、集注で整えられず、
さらにバランスが崩れて言動が過激になったり不明瞭になっていき、
さらに循環が滞りという悪循環に陥ることとなります。
こういう精神のバランスが崩れた時にいかにしてそれを整えるのか?
大きく分けると2つの方向性しかないと考える。
1つは鬱散、集注を権威や権力、武力などを用いて力づくで行う方向性。
わかりやすいのはやはりお金でしょう。
価値の源泉はお金という価値観が主流となった現代の人間社会において、
お金を使って自分に都合が良い状況をストレートに言うと、
他者を搾取することで整えようとする。
これはアメリカなどではロビー活動として合法的に行われていること、
中国であればマネートラップで相手の欲を刺激すること、
日本でも献金や利権といった概念が存在する。
X(旧ツイッター)などで頻繁に岸田元首相がパーティー券を、
中国人に大量に購入してもらっていたことが批判されてますが、
これはお金という権力で都合の良いように搾取される状況。
生産力や技術力など実質的エネルギー、文化など精神的エネルギーの源泉、
その鬱散と集注の流れを資金力を用い都合よく操作される可能性がある。
それを意識的、無意識的に感じ取っているが故の批判なのだと思います。
個人レベルでもお金による他者のエネルギー搾取はよく起こる、
お客様は神様の精神でお金を払うからと横暴な態度を取るとかですね。
とは言え、結局のところお金や権力や権威は大多数の人による集団幻想や、
生産力など実質的な力の下支えによって保たれるもの。
お金だけあっても食べ物は生産されないし建物が立つこともない、
人に信じられない権力や権威はいずれ崩壊する。
フランス革命然り宗教改革然り大多数の民衆の不信を買った権力等が、
何らかの形で、別の力によってひっくり返される。
歴史を紐解けばそんな事例はいくらでも見つけられるもので、
結局のところ表向きあるエネルギーを消費して、
搾取していたように見えていたに過ぎない。
実際には社会規模の鬱散と集注のバランスの崩壊に過ぎないもの。
ですが崩壊するまで力でもってエネルギーを好きなように、
鬱散、集注の流れを都合よく操ることは可能ではあるのです。
と、悪い側面ばかりに目を向けてきましたが例えば苦手なこと、
あまり自身の人生において重要ではないけどやらないといけないこと。
そういうものをお金で解決し発散する方向を整えることで、
より大事なところにエネルギーを注げるようになる。
そういう使い方もできますから結局のところどのような意識をもって、
力を活用するかによるということは言っておきます。
以上のように何らかの力を用いて他者のエネルギーを活用することで、
鬱散と集注のバランスを取ろうとするのが1つめの方向性。
で、もう1つは自分の中でエネルギーのバランスを取る方向性です。
よくお話することですが人には意識と無意識、2つの思考傾向、
言い換えれば2つの精神的領域が存在する。
この2つは別々に存在しているため片方が片方に、
何かしらの刺激や影響を与えることが可能。
これはつまり精神的なエネルギーに関してのみ言えば、
人は自分で自分の鬱散と集注のバランスを取ることができる。
必要なエネルギーを自分で自分に与え発散させることができる、
少なくともその方向性を理論上、ある程度は制御できるのです。
理論上なのは、人はデフォルトでは無意識の方が意識より影響力が強い、
無自覚で衝動的な鬱散と集注が起こりやすく、
意識もそれに流されがちなため。
自分の中で精神的エネルギーを循環させるには意識的な側面と、
無意識の側面の間でパワーバランスが保たれるように、
きちんと継続的に訓練等していく必要があります。
逆を言えば意識をうまく働かせられるなら精神的な側面のみであれば、
自他からのエネルギーによる鬱散、集注に左右されることなく、
自分の心のバランスを取ることが可能となる。
そうなれば、それだけ自他に注げる良いエネルギーが増える、
あるいは負のエネルギーを受け止められる余裕が生まれる。
結果、自他との関係性がより良いものとなっていく、
全体的なバランスが保たれ何かを成す、得るための、
健全な助けとなってくれるでしょう。
以上、2つの方向性についてざっとお話してきましたが、
理想を言えば2つめの方向性が自他共に、
より良い状態を実現できる精神の整え方であると思う。
なので、それを目指していけるよう意識していく、
今、自分が取っている言動は他者に対し搾取的な、
鬱散や集注の傾向の発露であるか否か。
きちんと把握しながら少しずつ自身の中でエネルギーを循環させ、
精神を安定させていけるよう訓練していくのが大事だと。
そのように思うというお話です。
では、今回はここまでです。
ありがとうございました。