1つの思想に統一されていくことの危うさ
人はいつの時代も1つの思想の元に何かを統一していこうと力を発揮する。
これは個人はもちろん社会、世界規模で度々見られる傾向で
一番わかりやすいのはやはり個人規模でのものでしょう。
人間は脳の機能として矛盾や相違を受け入れがたいようにできている、
確証バイアスと呼ばれる自分の都合の良い情報だけを集めて、
それ以外は無意識的に排除しようとする心理傾向は代表的なもの。
これってようは、特に意識しなければ自然と矛盾や相違が排除され、
個人の思想は1つのものに統一されていくということを意味します。
そのため、一見矛盾したような複数の思想や信念を抱える人も、
より本質に迫っていけば実は深いところで1つの統一された、
何かしらの核となる部分を見いだせるものです。
人は自然に矛盾や相違を包括できるようには生物としてできてない、
この傾向は個人だけに留まらず社会や世界にまで広がっていく。
例えば西欧において宗教改革以前は宗教とその教えこそが全てであり、
人は教えの中で生きていくことが最善だという思想が支配的だった。
ですが、その思想故に多くの争いが起き血が流れることが頻発した結果、
教えの中に生きるのではなく個人が個人としてきちんと責任を持って、
自己実現することこそが大事という自由主義的な考え方が広まる。
そんな思想が世界大戦や冷戦において全体主義と覇を争い、
現代に至り世界的にもっとも重要だと統一された思想となりました。
そして、自由を信奉するあまりに様々な弊害が出てきはじめて、
それに気づき始める人もまた増えてきているというのが現状。
故にまた新しい何かしらの思想が生み出され自由主義に取って代わり、
支配力を強め統一された1つの思想となって影響力を持つかもしれない。
それ自体は別に否定しない、思想は時代や環境によって移り変わるもの、
何が最善であるかは常に考え続け更新され続けるものだと思うからです。
ここでお話したいのは何が正しい思想であるかといったことではなく、
1つの思想のもとに全てを統一しようとする人間の傾向それ自体。
矛盾や相違を無意識的に排除しようとする危うさについて。
先に話したように1つの明確で矛盾しない思想に統一されることは、
逆に言えば矛盾や相違を全て排除していくということになります。
それはつまり人は包括性、より広く世界を眺め受け入れる力を失い、
より狭く息苦しい檻の中に自らで自らを閉じ込めていくとも言える。
例えば先に少し話した自由主義という思想に現代は統一されてますが、
それが行き過ぎた結果どうなったかと言えば利己的に考える人が増え、
他者と交わるということに価値を見いだせない人が増えていった。
自由とは自らに由ると書くように自分を価値観の中心に置くということ、
加えて自らに由るものはまた別の人の由るものと衝突することがある、
であればそこには自由の押し付け合いが生まれる。
自らの自由を守るために他者の自由を抑圧しなければならない時がある、
ようは他者は自由を争う競争相手、人によっては敵と認識するでしょう。
故に利己的になっていくのは必然の流れだったと言える。
とは言え、現実は他者を押しのけなければいけないばかりじゃない。
自分と他者が交わってより大きな力を発揮することもある、
Win-Winの関係を築きお互いに高め合い発展するという道もある。
そういう道を選ぶには他者に対する思いやりを持つということ、
また人は個人で生きるのではなく社会の中で生きていることを実感し、
であればそこにある集団的な規範等を遵守するということも大事です。
そしてそれは決して個人の自由を完全に侵害することにはならない。
個人が好き勝手なんでもできるようになるわけではありませんが、
社会の中でしか人は生きていけない以上他者との関わりは避けられない。
であれば、他者とうまく関わるための規範を守ることは、
社会の中で自身の自由を守ることにも繋がるものです。
ようはバランスが大事だということ。
個人が自らの自由を求め自己実現を目指すことは良い、
そのために必要な社会的な規範を生み出し、
きちんと守っていくこともまた良いものである。
このようにより多くのものを包括しバランスを取りながら、
最善を目指し常に考え時にアップデートしていくことが、
何においても大事なことだと思っています。
ですが、先に話したように人間は矛盾や相違を排除したがる、
何かを排除し否定するということはその何かを、
思想的に完全に消し去ってしまうということです。
そうなればそれを考えること自体が禁忌となってしまう、
故に考えられない自分と矛盾相違した思想やそれを持つ相手に対し、
攻撃的になったり極端に嘲笑的になったりする。
それは結果的に無限にある選択肢を自らで潰していくことになり、
行き着くところまで行けば1つの正しい(と思う)道以外の、
全てを排除してあらゆる可能性の芽を摘むことに繋がります。
先に自由主義は利己的な人を増やしたとお話しましたが、
それは自由主義が悪いものだったからでは決してない。
自由主義と矛盾する思想を人間自ら1つ1つ潰していった結果、
包括性を失いバランスが崩れて極端に自由に寄ったためだと考えてる。
この極端さに寄っていくということが思想を統一したがる傾向の危うさ、
自らで自らの可能性を潰していく人間の悪癖とでも呼べるものです。
なので、社会や世界を今すぐどうこうすることはできませんが、
せめて自分自身の中できちんと包括性を保ちバランスをとり、
常に様々な可能性を開いておくことは大事だと思っています。
そのためにはこれも先に話したように人間は生物的な機能として、
矛盾や相違を無意識に排除しようとする傾向があるとまず自覚する。
もし、自分の意見とか考え方に少しでも異議を唱えられたりした時に、
相手に対して攻撃的、否定的、嘲笑的になったりすることがあったら、
それは無意識が異なるものを排除しようとする防衛機構である。
そう意識することで無条件に排除することを止められる、
冷静に客観的に異なる何かをきちんと見定めて、
必要なら取り入れたり折り合いをつけたりができるようになるでしょう。
現代は膨大な情報に溢れ少し目を向ければ矛盾や相違が目にとまる、
だけどそれは決して否定されるべきものではない。
より多くの可能性を開いていくカギなんだと、
ぜひ意識してみてもらえればと思います。
では、今回はここまでです。
ありがとうございました。
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