キャリア的視点179 -できる事とやれること:林修先生に学ぶ-
毎日ブログ 179日目(2020/8/25)
「林修と高学歴ニートたち」を観て
今回の記事は、少し前に「林修の初耳学」で放送された「林修と高学歴ニートたち」を観ての物です。
Youtubeにもその動画が上がっているようですが、残念ながら公式の物ではない様で、いつ削除されるかは分かりませんのでリンクは貼りません。
「やりたい事をやる」「ライスワークよりライフワーク」と思って独立開業をしている私としては、実に考える機会を得た動画でした。
以前にこの様な記事も書いているのですが、併せてご覧ください。
正直今回の話に関しては、結論はとにかくありません。
というのは「やりたい」と「できる」は、両方を兼備できれば良いのですが、なかなかそうならないのが現実である人が多くて、「どちらを選ぶか」は当人にしか決められない事だからです。
私は「やりたい事」を「できる事」にしようと奮闘中ですが、結果はまだ見えてこないのです。その意味では参加されている「高学歴ニート」の皆さんと考え方は似ているのかも知れませんね。私は高学歴ではありませんが^^;
やりたい事
先日の「林修と高学歴ニートたち」の中盤での話です。
参加している高学歴ニートの方の一人から出た質問から、展開が変わります。
好きな仕事じゃないと働きたくない。
この質問に対し、林先生は以下の様な話をされました。
人は仕事を選ぶとき、下記マトリクスで言うところの「やりたい事←→やりたくない事」と「できる事←→できない事」の2軸で考える事がある。
どちらも間違いではないが、「やりたい事」というのは環境や後天的な情報などによる「偶然に生まれたもの」である、と。
人の願望とは、環境や情報などの外部要因に出会った事で「偶然」生まれたものであって、人はその情報に喚起されて○○したいと思う。
であればやりたい事は本当に絶対的なものなのか? 情報が内部化されていて、自分の思いにすり替わっていたりはしないか、と。
できる事
対してできる事とは。
この場合のできる事というのは「多くの他人からみてできる事」であるのですが、やりたい事の「偶然」に対して「必然」である、と言います。
他人からみて「林先生は○○ができる」という認識を持たれるというのは、彼の自己概念の形成にも繋がっているのでしょう。
これは林先生が今まで積み重ねてきたキャリアやスキルなどを以って、また林先生と直接話をする中で、他人に「できる」と思わせるモノから抽出される「必然」と言うことなのでしょうか。
番組のスタッフさんたちが一生懸命その準備をしてくれているというのは「プロ」である自覚を持つ以上、例えば視聴率争奪戦ゲームに勝つ責任があると言うことだと。そして林先生が快感を得る瞬間が「そのゲームに勝つ」時だとも言います。
人がどこにモチベーションを持つかというのは人それぞれ。林先生の場合は「勝つ!」という実感だったという話な訳です。人一倍の負けず嫌いなんですね^^;
仕事の選び方
理想はもちろん①の「やりたい事ができる事」であるのが一番であって、それは誰もが共通に考える事でしょう。
現在が④の方は少し考えた方が良いかも知れません。やりたくもなく、客観的にもできない仕事に就いていることは、会社的にローパフォーマーと呼ばれたりしかねません。
しかし厳しい事を書きますが、「やりたい事」はモチベーションに繋がりますが、それだけだけでは収入には繋がりません。単純に考えても、収入に繋がるのは「できる事」なのです。
逆を言えば「できる」だけでやりたくない仕事はモチベーションが上がりません。それでも続けていくためには林先生の様に別のモチベーション源泉を見つけるか、相当の胆力が必要でしょう。
収入を取るか、ヤリガイ・働き甲斐を取るか。
結婚していなければ、子供がいなければ、理想としての「やりたい事」を選ぶのは簡単でしょう。しかし家族がいた時は、判断しがたい状況になるかも知れません。
最終的には①を目指すべきなのでしょうが、残念ですがその域に到達できるのはいつになる事かわかりません。
林先生自身は②を平気で選ぶことができる性格だと言っていました。
私個人は②がどうにもストレスで、③→①の流れを創ろうとしています。
これは冒頭にも書いたように「どちらを選ぶか、は当人にしか決められない事」なのです。
「良い大学 → 良い企業」方程式と言う幻想は、戦後70年で崩壊しています。そして今、日本型雇用システム(終身雇用制・年功序列型賃金・他)も崩壊し始めています。
人生100年時代を生きていく為に、自分の仕事の在り方、仕事への向かい方を見つめ直していきましょう。
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