文化祭迄。
文化祭準備期間。
それは授業のない一週間。
ひどく退屈な一週間。
ひどく孤独である一週間。
教室が騒がしい。
いつものこと、ではあるけれど。
前期末試験が終わり、採点結果に一喜一憂したのが月曜日。
結果が良かった人々はそのまま至福の思いを讃えたままに。
結果が悪かった人々はそれを覆い隠すかのように。
1週間後に迫った文化祭のため、教室を装飾して、部活の展示などの準備をして、暇な人達はただただ駄弁って。
「時間なんてない」と、装飾係幹部たちは嘆いているけれど、
その割には半数以上の面子は退屈を極めていた。
そういう舞い上がったような空気に感化されて。
皆、どこか毎日と違う非現実を楽しんでいた。
私は本を読んでいた。
私は寝ていた。
私は歌っていた
私は親友と話していた。
私は喧騒に巻き込まれていた。
クラスで行うものは、脱出ゲームであった。
今ではひどく昔に感じられる「3年A組」の名を冠する某ドラマから着想を得たものだった。
私はその全体のストーリーの黒幕役に指名された。
黒幕に間接的にだけれど殺された「役」をすると言った友人、それとクラスメイト達、からの指名。
それなりに私は演技ができると認識されていた、から。
だろうか。
理由は彼女、いや、彼女たちのみぞ知るところであるけれど。
どうでもよかった、から。
体育祭のときのように寝ている間にすべてが決まっているよりかは幾分か「マシ」だと割り切って。
何故か心配そうな、不可解な表情の親友を撫でて。
ボクは笑顔で頷いた。
それから簡易的な、文化祭当日、来場者に向けてながす動画を撮って。
私は。
流れで、なんだか、とてつもない汚れ役をやらせられているかのような気になった。
心底、どうでもよかったから、良かったけれど。
そんな風に、それなりに協力したからだろうか。
文化祭準備期間。
私が教室の隅で寝ていることを咎める人は誰ひとりいなかった。
ただ、かたわらの踏まれるはずのない位置にあった愛読書が何故か踏まれていくこともしばしばあって。
それを薄く無感情に眺めることもあった。
(でも、それに関してはボクが寝ていて癪に障っただけなのだろう。自業自得だ。)
とは言っても色々あって。
いろいろな理由のもとで日々私は寝不足を極めていたのだ。
ひたすらに眠かった。
人間に会いたくなかった。
深夜まで起きて、昼は学校で寝る。
だから、
そういう生活サイクルを送る人間としては、一人で気ままに行動することがあまり咎められない非日常はある意味
とても気楽なものなのかもしれないと思ったりもした。
黒幕の部屋。
というものが教室の一角に作られた。
謎を解く部屋の一つ。
面白かったのは、
眼の前で私に負けるとも劣らないほどに情緒不安定な「黒幕」の部屋が出来上がっていく光景。
破られた絵。(わざわざそれっぽくクラス一優しい男の子が書いてくれた。破られていて私の方がショックを受けた。)
黒く塗りつぶされた写真。
捨てられたカウンセラーからの手紙。(こちらもわざとグシャグシャにしてあったが、手作りだ。作り込みがすごかった。)
散乱した本。
ところどころページが破られてグシャグシャになった日記。(私が内容を書いたのではない。ただ、私でも引くほど病んでいた。嫌な感じに。なんとも言えない気持ちになった。コレが私か。と。)
簡易的な布団。
常軌を逸した黒幕像が作り上げられていき、
「私(役)って情緒不安定ね」
と、思わずつぶやいた。
こんな混沌とした設定があるのならばもっと先に言っておいてくれれば、
もっと工夫っていうか怖いこと、できたのにね。
なんて後の祭りでしかないのだろう。
世界は相変わらず不可解であった。
寒くてグラグラした。
感覚を
軽い吐き気と
重い眠気
乾いた情緒との危うい均衡。
調和。
放送で流される死ぬ程陽気な音楽に
耳と脳を破壊され続ける。
半強制的に取られたカッターが、
浪費されてくのを見た。
切れ味が鈍って行くのが目に見えてわかる。
ブラックコーティングカッターというものは刃の塗装が剥がれていた。
最も愛する某100円ショップのカッターはテープを切ったことにより清らかさを失っていた。
最悪であった。
部活動の方はなんとも言えない感じのまま、おおよそ順調に進んでいた。
活動内容は主に展示品の作成。
仕上げ。
押し付けられた、本当は2人でやるはずの文芸部の展示用のレポートを。仕上げる片手間音楽に身を委ねる。
私はよく、真面目、だ、と、
言われることもあるが、こういうときは、クラスの団結を目の当たりするのが怖くて。
私が楽しげな声に情緒を破壊するという社会不適合者であるということを知っていたので。
よく逃げ出していた。
(教室に居るときも寝ているだけなので、本当に、
なにをしているのだろう。と。
職務怠慢だ。と。
迷惑だ。と。
キャラ設定、ぶれている。と。
言い放ってしまいたい。己に。)
親友のことさえも放っていた。
(あの子のことを可愛がりたい人は沢山いるから。逆にそのほうがきっと。
あの子にとってはいいのだろうとも思う。私のせいで交友関係、狭いのだろうなという自覚はこれでもあるのだ。)
だが、ただでさえ普段の毎日の日常ですら騒々しい世界なのだ。
学校というのは、
どれだけ苦しくても、痛くても、怖くても、吐きそうになっても、
楽しげな世界は笑いながらボクを逃げ出すことを許さないのだ。
そもそも、逃げ場がないのだけれど。
笑える。
それに文化祭という、生徒たちへの青春を過ごすことを促進する祭りの雰囲気が加わると、もう、なんとも言えない。
そんな中。
部活動は先輩が多少居るか居ないかの「マシ」な、
空間。
主に、文芸部の過去の部誌を読んで無心になり、感嘆し、
己の作品を読んで、自虐的感情を並べる等の事ができた。
先輩と親友の描いたイラストを見て、
自己破壊願望的感情(?)を並べる等の事ができた。
それでも。
辛いことは辛いので。
気まずいので。
痛いので。
ので。
結局。
寝て、世界から感情を切り離す他、方法はないのだ。
だが私は知っている。
文化祭の雰囲気は曲がりなりにも私に対してのクラスメイトやその他の人々からの異端を見る目を軽減させていたことを。
仲間意識。
一致団結というものだろう。
日常において、私に向けられる好奇の目やその他の感情は普段のほうがきっときつい。
そう。
私は文化祭によって
きっと望まない形で
癪でしかないが
少し
救われたのかもしれない。
生きづらいことこの上ない世界でその少しの救いは意味をなすことはきっとなかったけれど。(望まない救いはボクにとって逆に毒だ。死にたくなる。社不だと罵ってくれればいい。蔑んでくれればいい。本当。)
親友と帰り道に半分こして食べた、
雪見だいふく
チョコモナカジャンボ
pino(ピノ)
は、
幸せであった。
結局は日常でも非日常でも、
精神的にも肉体的にも壊してこない
愛する人と過ごすことが
何よりの幸福だと。
ここまでの前フリを全無視しての結論にただりついた。