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諦めにまどろむ

めいめつした世界にすべてを諦める
そんな日常
げんざい、午前2時55分
これがオレの普通、当たり前になりつつあるのがたまらなく怖い
僕はまったくショートスリーパーではないし、 
寝るのが嫌いなわけでもない
なんなら好きだ
ねなければ普通に翌日、そしてそれをこえて数日にもわたり影響がおよぶこと、それを知ったうえでの愚行。
ねむくないひなんて、この6年いじょう、あったっけ、
もしかしたらそんな日なんてこの半生のうち、なかったのかもともおもう
それでも流され、たゆたい、まわらない思考のままにおきている、
そんな今現在がうらめしいし、不思議とおかしくも感じる
幻聴と、きっと現実であるだろう時計の秒針が刻む音、くそうるさいいとこの携帯端末から流れるガシャガシャとした洋楽。
くらやみのなか、ぶるーらいとの主張が昼間よりいっそうはげしくなる
ふかい、よる
不意に「寝る」といとこがつぶやく。
行動をともにするのはかれこれ14年以上、もうすこしで15年。
いつからか子供じみた、というよりこどもの、ひとりっこであるぼくの、きょうだいへのあこがれから「お姉ちゃん」と呼び始めた
あれから幾年たったのか
そうやってずっと一緒にいて、はなれるときにいとこが涙を流していたのは、記憶にあたらしいようで、もう7年以上まえの話。
いとことともにいる時、ぼくらの間には数メートルのきょり。
それはあのころとかわらない
でも会話を交わすことはきっととても少なくなった
わたしはにんげんが苦手になった
いとこは世界に憧れるようになった
きっと、いとこでなければ距離は数百キロとはなれててもおかしくないぼくら
「ぼく」と「自傷」の言葉をわらったいとこのことをおぼえていて、且ついとこの感性がよくわからなくって、
いつのまにか、いとことおばの一日に4回ほどおこなわれる喧嘩の間を取り持ちながらも八つ当たりされるぼくのやくめにもなんともいえない気持ちをもつ
あきらめがにじんでく

げんちょうがきこえる
おのれのこえ

うぬぼれるな
手前はつらくない
おまえはめぐまれてる
ひがいしゃぶるな
なんのやくにもたたないんだから
みにくい
どすぐろい
つらくないだろ
だれも手前をあいさない
だれがおまえをすきになるっていうんだよ
きずつけてきたくせに、きずついたふりなんて
つくづくじぶんかってな奴だよ
このふこうをのぞんだのは他でもないあんただろ
のろいだ
だれのこともたすけられない
おまえにいきてるかちなんてない
うそつき
おまえはなんでうまれてきたんだ
おまえは不要
だから
「すがってないでさっさと死ねばいいのに」

げんちょうという名のじこけんおに混じる、なんだか聞き慣れたことば

ねむくて、ねむくて。
もうなにもかんがえたくない

げんちょうはなりやまない。
びょうしんはきょうふにすこし早く時を刻んだようなきがした

まっくらやみ

ごめんなさいということばだけが、くちからこぼれたから

ぐるぐるとまわらないなりに仕事をこなすいしきが
あさくなっていくこきゅうとふあふわと、くるしい心臓に
かおをしかめた

ごめんなさい

3時半をまわったせかいに、
すくいようのないぼくに
あいかわらずばかばかしいと諦めを持って
すこしの仮死をのぞんで
まどろみに、
歓喜を持って
ほほえんだ

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