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『Detroit: Become Human』から得た教訓

どうも、水石です。
今さらではありますが先日PS4ソフトのDetroit: Become Humanのストーリーを鑑賞しました。
個人的にこういうアンドロイド絡みのSFものが大好きなんですよねぇ...

ストーリーは控えめに言って最高でした。そしてこの作品を通して得た教訓があったので、何か記録として残しておきたいと思った次第です。

文中には若干のネタバレがあります。特に最後の【余談】ではストーリーを1回でもクリアしたことがある人向けの内容になっているので、ストーリーをこれから楽しみたい方はそこだけご注意ください。

【教訓】 ひとつひとつの"小さな選択"をないがしろにしてはいけない

自我を持ってしまったアンドロイドたちが自由を求めて行動を起こすというのが物語の本筋ですが、この作品の興味深い点は、プレーヤーの選択がストーリーを変化させることにあります。
このゲームの製作者が「”オープンワールド”が世界の探索なら、本作は”オープンシナリオ”だ」と語っていますが、まさにその通りでしょう。

僕が驚いたのは、何か選択することで得られるスキルがあるとか、選択を間違えてゲームオーバーになるとかの話ではなく、選択したことが直ちに結果となる(ゲームオーバーの概念がない)点です。

例えば、ある人間の男性に仕えていたアンドロイド『マーカス』が、男性の息子『レオ』に挑発される場面があるのですが、そこでプレーヤーには2つの選択権が与えられます。

「レオを押し倒す」
「堪える」

ちなみに僕の場合は感情的になって、その場の流れで押し倒す方を選択すると思います。実は、”その場の流れ”で選択するこの2つの行動は、主人公マーカスの後の行動に大きな変化をもたらす結果となります。しかもそれはある人物の生死に関わるほどの選択だったのです。

たとえ重要な選択だったということを後で知ったとしても、物語は否応なしに進行していきます。まるで人生みたいですね(直球)
このことから、僕は『どんなに小さな選択でも、未来を大きく変えるきっかけになり得る』ということを感じたわけです。

私たちの生活においても小さな選択を迫られる機会は多いと思います。

「友人との待ち合わせ時間に遅れてしまう!すぐに連絡をしようか、連絡せずに急いで向かおうか…」とか、

「お昼ご飯を買いに行くためコンビニに行ったら美味しそうなスイーツがあった。迷いなく買うか、我慢して買うのをやめるか…」とか。

普段は気にも留めない小さな選択でも、本作を観賞し終えた後だと、もの凄く重要な選択のようにも思えてきます。仮にそれらの行動がすぐに結果となって現れなくとも、積み重なっていくうちに未来を大きく変えるような気がしてならないのです。バタフライ・エフェクトとはまさにことのことなんだ(知らんけど)

本作はこうしたことを教訓として与えてくれていると思います。


【余談】 個人的に一番感動したシーン・鳥肌が立ったシーン

感動したシーン『メリーゴーランドに乗るアリスと、それを見つめるアンドロイドたち』

廃遊園地を訪れた際にメリーゴーランドに乗るアリス。この場所に至るまで辛い思いばかりしてきた彼女が初めて笑みを浮かべるシーンでもあります。
束の間の平和な世界が数分の間にぎゅっと込められている感動的名シーンだと思いますが、何より感動したポイントは、そんなアリスの姿を幸せそうに見つめている周りのアンドロイドたちの存在にあります。

人間・アンドロイドの分け隔てなく喜んでもらいたい、幸せになってほしいと願う姿にはもう涙腺崩壊不回避です。

鳥肌が立ったシーン『僕の名前はマーカス』

廃棄場に捨てられたマーカスが脱出を試みるシーン。『死の淵』というタイトルの通り、マーカスは死の淵をさまよいながら周りを探索していくわけですが、全体的にゲームへの没入感がかなり高く、演出も神がかっていて個人的には一番好きな章です。

その章の中でも特に印象深かったのは、最後に「僕の名前はマーカス」と言い放ったシーンです。

後から思ったのが、「なぜ改めて自分の名前を名乗る必要があったのか」ということです。それまでもカールさんのもとで「マーカス」と呼ばれていたわけですから、名前が変わったわけではありません。
おそらく、「人間に仕えていたアンドロイドとしてのマーカスを捨て、自らの運命を自らの意思によって決める新たなアンドロイド(マーカス)として生きよう」という意思の現れだったのかなと思います。

それにしても、名前には非常に大きなインパクトがありますよね。
人はなぜ名前をつけたがるのでしょう。個を特定するという意味では、別に名前なんかつけなくても、容姿でそれを認識するとか、地位を与えるということでも特定できるはずなのに。

きっと人間にとって名前は他者と自分を比較・識別する際の最もわかりやすいものであり、コミュニケーションをとるために必要な最初のきっかけなのかなと思います。人間は対人に限らず、あらゆる存在とコミュニケーションをとりたいから名前をつけるのかなと。

どんな理由にしても、マーカスのこのセリフは一生忘れられないと思うほど僕にとって印象的なものでありました。以上です。

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